野馬追い迫るー南相馬市、鹿島区に旗が立つ
(霊山城から落ち伸びた南朝の只野氏一族)
ノウゼンの通りに咲きて野馬追の旗の立つかな風になびきぬ
菊の紋二つそろいて坂のぼる南朝の末裔誇らしきかな
菊の御紋は南朝の旗であり只野氏と菊池氏の旗でありわかりやすい、南北朝の争いは日本全国に深い傷痕を残した。
なぜなら明治天皇は南朝であるというのもそうである。南朝こそ正統とされたからである
秋葉神社は多田野村から霊山城が炎上し落ち伸びた時にもたらされた神社である
だからふるいとなる。最近その子孫で神社を守っていた人は死んだ
野馬追の旗が町に掲げられた。 野馬追は旗祭りでもある。その肌の紋様は3000とか多いので。そのは他の文様もう皆違っているのでそれが気になるのである。それにも謂れがありそれを全部知ることはできない。
鹿島区だと霊山城から落ち延びた郡山市の多田野村に発する只野一族が先祖となっている。だから鹿島区は50人くらいの只野の姓の人がいるのである。この多田野氏は杉の紋様である
三輪山神社(大神神社)神紋『三本杉』と『三つ鱗』 | 毎日の積み重ね (ameblo.jp)
三輪山は山自体が御神体であり。山に向かって祈るのである。その中で杉は千年とかの樹齢ものものもあり神聖なものとされたのである。
縄文杉などがそうである。それは木材として利用されるものとは違っている。自然のままの木なのである
野馬追の旗印を知るには相馬市がこの地を支配した相馬氏は馬を操作することに長けていた。それで騎馬軍団を形成して強かったのである。それで伊達氏とも戦ったのである。
相馬氏の領地は最初は小高に来てそこに城を築いた。だから最初の中心地は小高なのである。その後浪江とかに拡大したのである。
でもその中心地域は相馬市。南相馬市(鹿島区。原町区。小高区)になる。宇多郷(相馬市)、北郷(鹿島区)、中の郷(原町区)、小高郷である
それで神社の旗は三色旗は小高神社ー太田神社(原町ー中の郷)ーそして宇多郷(相馬市)となる。原町区の雲雀が原に神旗争奪戦でこれらの郷が結集するのは壮観である。その前日に北郷で宇多郷から殿を迎えて合流するのである。
相馬野馬追は歴史の再現であり野馬追には武家の出でないと行列には出れないのである。勝手に誰でも参加できないのである。
相馬藩の特徴は主君が代変わりしても相馬氏であり変わらなかったのである
。
三春城を築いた田村氏は、三代80余年で終わり、その後、伊達政宗の勢力圏に入りますが、やがて田村全域が会津領となり、三春城は、本城若松の支城のひとつとして城代がおかれるようになりました。
城代(主君に代って城を守り、命令を伝える者)や城主も目まぐるしく変わりました。
やがて江戸時代になり、正保2年(1645年)秋田地方に勢力のあった、秋田実季の子、俊季が五万五千石で三春城の城主となり、以後11代約220余年間にわたって、奥州三春藩として徳川幕府外様大名として幕末まで続きました。
相馬藩の場合はこのように城代が変わらなかった、相馬氏によって受け継がれてきた、それは日本の歴史ではめずらしいのである。それで相馬藩政記は記録として貴重なのである。一貫して相馬藩の継続した歴史を記したものだからである。それで学者も参考にしているのである。
そして今も野馬追には相馬藩の殿様の子孫が大将となって野馬追に出るのである。つまりまだ殿様が現実に活きているとまなっているのである。殿様を家臣一同迎えるとき再興に盛り上がるからである
とにかく野馬追は旗祭りでもある、でもその旗の由来を解き明かすことは至難である。霊山で北朝に敗れて落ち伸びた只野氏は歴史としてわかりやすい、その他はわかりにくいのである。そもそも旗の由来は鎌倉時代とかにもさかのぼるから解明できなくなる
でも野馬追は忠実な歴史の再現であり勝手に由来も明確でないものは出れない、勝手に旗も作れない、先祖伝来の旗生とかっ甲冑を身につけて参加できるものだからである
ただそこにどうしても全員地元の人でも参加できないから盛り上がらない、そもそも野馬追に出る家は限られている、500騎出たとしても全体からすれば極一部になるからである
ただ歴史の忠実な再現だから変えられないのである
だからそもそも地元の人でも限られたわずかの人しか参加できあないとなればそこに限界がある。ただ見ているだけではつまらないとなる
そこで地元の人たちでも何か盛り上がらな理由がある
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