蜉蝣は初秋の季語なのか?ー無常迅速の世の中
(合歓の花、ノウゼン、藪甘草)
鷺眠る地を汚さずに合歓の花
身に着きぬ蜻蛉手に我が老いぬ
はかなさや蜉蝣いとしむ一時を
ノウゼンに夕日の射して散り落ちぬ我が家の前街の中かな
藪甘草十輪ほどや集まりて咲くや草深き里我が住みしかも
蜉蝣(かげろう)この弱々しい虫は、成虫になって1日で死んでしまうことから、「はかなく短い命」の象徴として、「かげろうの命」という言葉が作られた。
日本以外でもこのイメージは同じだったようだ。
カゲロウの仲間を意味する学名「Ephemeroptera」は、「1日」という意味と「翅(はね)」という意味のラテン語から作られた造語である。
蜉蝣は初秋の季語となている。でも6月でも出始めて九月ころまででる。私がいつも見た記憶があるのは6月とか7月である。だからどうして初秋の季語になているのか解せない、ただそれなりの理由はあるのだろう。季語にしても一人では決められないだろう。
その蜉蝣が外に出て身に着いたので手にとった。それはなんでもないことだけど何か人間は老人になるとこんなことでも感じ方が違ってくる。何故そうなるのか?それは死がまじかでありこの世とも人とも別れるからである。実際自分の家族は全部死んだ。60年も一緒にくらしても死ぬと呆気ないとつくづく思う。
だから人間でもかげろうのようなものだともなる。でもこいうことは若い人は感じないのである。
しかし人間んはたちまち老いる。だから人の出会いでも本当にはかない、50年前でも会った人をふりかえるとそんな人いたのかとまでなる、現実に5年間子供の時一つ屋根の下で暮らした女性はその人はいなかった言っている。その人は普通の人でないからともなるがでもそんなふうになてしまう。人と出会ってもどれだけの人が記憶しているだろうか?
ほとんど記憶から消えてゆくのである。でも若い時はそう思わない、いつまでも青春がつづくと思ているし老人になるとも思っていないないのである、これが人間の一番の盲点だったともなる
そして30過ぎて40頃になるとすでに白髪が生えてたりする
40過ぎるともう老人に向かっている、これほど時間が過ぎるのが早いのである。無常迅速なのである。
そして時代もめまぐるしく変わる。この辺での変わりように驚いた。津波原発事故で村ごと消失したり町や村が廃墟のようになった。それも信じられない変化だった。これを予想はできなかった。このように世の中の変化は激しいのである
ともかく老人になると深い見方ができる。それは別に優れた人だけではない、老人が何か悟ったような賢い人に見えるのはやはり人生の現実を死がまじかだということを否応なしに突き付けられからである。あと何年生きるのかとなればそうなる。末期の目でみることになるからである。
合歓の花は終った、これも咲く期間が意外と短い、いつも田舎で鷺を見ている、鷺は自然と融合して自然を乱さない、そして眠りにつく、合歓の花のように眠りにつく、安らかであり地を乱さないのである。
なんかこのところ暑く夏バテになった。不思議なのは蛙がなかない、これは原発事故の影響かと思ったが田んぼが復興したとき蛙が鳴いていた。蛙がいないのはなぜだろうとなる。まだ蝉も一羽くらいは鳴き始めた、蝶もあまり飛ばない
この辺は雨がすくなくそれが蛙が鳴かないのか?他でも蛙がなかないと報告がある。その理由がわからないのである
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