2023年07月25日

氷河期世代を見放したことが少子高齢化の原因にも (人間は先を見ることができないから失敗する)

氷河期世代を見放したことが少子高齢化の原因にも

(人間は先を見ることができないから失敗する)

●団塊世代の学生時代

なぜ今になって氷河期世代が問題になるのか?その時就職難でありまともに就職できない人が多かった。高校生ですら16%ぐらいしか就職できなかった。大学生は就職できなくても高校生は大概これまで就職できていたからである。だからよほど就職難であり就職ができないということだったのである。何かその時フリーターとかはモテもてはやされ、自由な仕事の仕方として奨励されたようなことがあった。でも実際は正社員として就職できない人がしかなくてフリーターとかなったのである。そのフリーターとかを新しい仕事の仕方として見ていた人もいたのであ。 

ただ世代が違うとその世代のことが理解できなくなる。そこで戦争を経験した世代としない。戦後の世代とでは、大きな差がある。まず戦争と言うのは経験できないことであり。だから戦争を経験した人の話を聞いてもなかなかわかりにくい。その中には実際に人を殺した人もいる。だから、戦争で人を殺した経験をした人はどういうことかということを理解することが不可能になる。
だから戦前世代と戦後世代は大きなギャップがあるのである。

そして団塊世代というのは、戦争が終わって生まれた人たちである。その数は多かった。都会で一クラス70人ということもあったと聞いた。それも驚きである。私の田舎では50人くらいだったの、今クラスは30人くらいなので。でも同じ年代で8教室とかあった。どれだけ数が多かったということである。だから高校に入れないと騒いでいたのである。その時集団就職があり人手不足で東京の中小の工場に働いたのである。だから中卒で。親をもとを離れて働くということはきびしいことだった。

私は三流でも東京の私立大学に入った。だからそういう厳しさはなかった。第一文系の私立などは遊びの場だったのである。変なのはゼミの教授など一回ぐらいしか見たことがない。大学の先生とは何かを教えるということがないのである。講義でも自由に休むのである。もうそれがどういうことなのか分からなかった。高校とはあまりにも違っていたのである。大学の先生というのは別にを生徒に教えることが仕事ではない。自分の研究をすることが仕事なのである。だから勉強もせずにただ遊んでるだけの人がいたり学生運動がありそこで青春のエネルギーを発散させていたのである。

というのは文系などはそもそもはまともに先生がいても教えないのである。また授業に出るのも自由であり、でなくてもいいのである。そして一年に一回試験があるが。それも形式的なものであり別にそれで落第するなど無いのである。ただ千人が入るくらいの講堂に人を詰め込んで教授がマイクで講義している。そういうことに興味もない人が多いから。一日麻雀をしていたり。遊んだりあとは学生運動にエネルギーを費やしている。

だから大学というところは一体何なんだろうと不思議に思うのである。それは高校とあまりにも違っていたからである。そのギャップが大きく。一体そこはどういう場だったのかとなる。文系の場合は特に何か実験などもしないし、レポートを出すこともないし。ただ時間潰しの場所なのかとまで思った。それで変な方向に行ってしまう人がいたのも当然である。今それが今女子大学生でおきている。
だから手に職をもつこと職人でもなった方がいいとなる。職業訓練校にでも入った方がいいとなる。文系は何も身に着かないからである。これは中国でも起きている。大学生が多すぎて就職先がないそれが大問題になっているからである。

●エリートではなくなっていた大学

今貧困化しても大学に行く。奨学金をもらっても大学に行く。でも金が足りないからと風俗の方に行って稼いでいる。そしてい一体その女子女子学生は風俗が仕事なの勉学なのかわからなくなる。そういうことはすでに団塊の世代でも起きていたのである。現実にバーテンとかして働いてアルバイトしていた学生もいたのであ。すると一体何が本業なのか?学生なのか、それともそうした飲み屋とかで働くことが本業なのかとなってしまう。毎日ギャンブルやパチンコしていた人もいる。だから、一体大学とは何の何なんだろうとなる。それは特に文系の場合はそうなることが多かったのである。

その頃から大学生等も別にエリートでもなんでもない。新宿で石を投げると学生に当たると言われていたほど多くなっていたのである。戦前の大学生とは雲泥の差がある。その人たちは将来を約束された人たちであり特別視されていた。 だから周りでも何か自由にしていても許容していたのである。それは将来日本を担う人たちだったからである。それで寮歌があり選ばれた人として見られていたのである。その人たちはエリートであり将来を約束された上に立つ人だったのである。でも戦後の大学生はそういうものでわなかったなくなった。ただ、田舎では一クラス50人居ても5人くらいしか大学にも行ってないのである。後の1/3は集団就職とかにもなっていた。高卒が三1/3くらいだったともなる。高校すらまともにいかない時代だったのである。

●氷河期世代の問題の顕在化

とにかくこうして世代ごとにその時代があり、状況は違っている。それが歳をとって振り返るとそれが何だったのかとなる。明らかになる。だから氷河期世代というのもその時何があったのかわからなくなる。でもこの氷河期世代は大きな問題と今なっている。それは無視された見逃された世代だったのである。まともに正社員になれない。就職できないそのことが今になって大きな問題となったのである。

なぜなら少子高齢化というときこの氷河期世代が結婚しないということで子どもを産まない育てないということで今深刻な問題となっているからである。団塊の世代ではほとんど結婚している。結婚してない人は例外的存在である。氷河期世代というと40から50の初めまでの人口ボリュームは多いのである。特に団塊の世代の子どもになる。氷河期世代は数がやはり多い。でも結婚していない人が多い。それが田舎でも目に付くのである。

例えばコンビニで二人人働いているその人は40代くらいである。それも結構長く働いているのである。おそらくコンビニくらいしか就職先がないからそこで長く働いている。でもコンビニで働いて結婚するとなるとなかなか難しいだろう。収入もそれほどないからである。そしてそういう場所で働いて何か身につくのだろうか?そしてその人たちを見ているともう結婚もしないし将来も独身であり仕事としたら覚えるのはコンビの仕事だったとなる。
そこでその人独得のスキルが身に着くのだろうかとなる。

そして収入も少ないから年金などどれだけもらえるのがどれだけもらえるのかわからない。他にも結婚してない40代から50の初めとかの人が結構いるなと最近気づいたのである。私自身交際範囲が狭いから昼間買い物の後に行くと目に付くのはニートとかあとはこうして40代50初めでコンビニとか働いてる人なのである。

でも田舎でも現代を反映している。氷河期世代の人口が多くその人たちが結婚しないで子供を産まないから少子高齢化は深刻になったのである。でもその時将来のことを見えなかった考えなかったそれはその人達の責任ではなく上に立つ人たちの責任でもあった。政治の責任でもあった。人間の弱点は一年先でも見えないのである。日々今に追われるだけなのである。

●人間は先がみることができないので失敗する

来年のことを言えば鬼が笑うということになる。先がわからないのが人間なのである。なぜなら津波でもそうだし原発事故でもそうである。そんな大きな事故が災害のくるなど予想もしなかった。だからたとえそういう大災害がないとしても氷河期世代というのは将来どうなるのか?それをある程度見れたから対策するべきだったのだがしなかった。それが今になっても取り返しつかないものとなってしまったのである。もう正規社員にはなれない。

そしてその後日本経済も衰退して立ち直れなくなっているのである。ただ、氷河期世代の上の50代から60代の人はバブル世代であり景気が良かったのである。ただ、氷河期世代だけが割を食ったということになる。それは戦争で死んだ人たちと同じである。その人たちは不運だったのである。この日本の将来が暗いと言う時でもこうして団塊の世代とか数が多くその人たちが75すぎると病気になったり介護になったりする。その子供たちが氷河期世代なのである。だから親を介護するにしても金かねにしてもない。それで負担がかかってくるからどうなるのかとなる。

現実にそういう人を知っている。その人も50歳くらいでで独身であり働いているのは工事現場である。でも母親が脳梗塞になったのである。母親はまだ73歳くらいなのである。そして2025年問題になる。団塊の世代の子供が親の介護に入る世代なのである。その負担を追いきれないとな。そこで悲惨な悲劇が起きてくる負担し切れないからである。

またどうしても病気になるから医療費がば増大する。その負担も大きすぎてもう金も出せないのである。
国で金をも出せないのでそのためにまた増税となり若い世代が苦しむのである。 何かもう家族でも社会自体が破綻して行く。そんなことを私は2人の親がいて介護して苦しんだからわかる。私の場合は金に余裕あったが。氷河期世代には金はない貯金すらない。そしたらどうして介護できるのか?氷河期世代の親の人は脳梗塞になった。その後遺症もあり何とか直そうとしているが。金も無いのである。つまり医療費が増大する。そのために。国は潰れるとまでなるかもしれない。それだけ医療にも金がかかるからである。 

ともかく世代の問題として氷河期世代と。団塊の世代が数が多いから社会を圧迫して大問題となっているのである。
だから日本はこの世代と団塊の世代が消えるまでは苦しむ。そこに悲惨なことが悲劇が起きてくる。それはもしかしたら戦争で死んでいくような世代と似ているかもしれない。もう介護に金を回すとか医療にお金を回すことさえできなくなる。数が多くまた医療も手厚くしていればもう限界になる。 東京では生活保護を金を出して出したくないとして、ほかの市町村に移ってもらう。そこで世話してもらうとかもなった。金を払いたくないからほかの市町村で面倒みてくれとなった。そして家族でも面倒見きれないから家族遺棄社会にもなる。

でも誰かが面倒見させられるということもある。捨てるわけにもいかないからである。いくら愛が大事だからといってそういう。老人とか病人とかあまりにも多くなると社会自体が維持できなくなる。 つまり、老人と病人によって。社会が圧迫されて社会自体が破産してしまうのではないかとも思う。でもやはり人間というのは命が一番大事でありみんな死にたくはないのである。老人もだから簡単に死ねない。そしてやはり手厚い治療もするから今は簡単には死ねないのである

するとまたそこに金がかかり、手間がかかり介護する人の負担となり恐ろしいのは共倒れになってしまうということである。私も自ら病気になり2人の親を必死に介護した。それは60代過ぎてからである。私は特別に親にはよくされて自由に生きたから親には感謝している。でも。今度は団塊の世代でも介護される側になるともうそれは出来ないかもしれない。氷河期氷河期世代とかは金もないしただ不運な世代であり割を食った世代であり親にも感謝しないだろう。だから家族遺棄社会になる。 

●先が見えずITでも遅れ失敗

いずれにしろ人間の問題は一年先すらわからない見えない。だから十年先になるとさらに見えなくなる。でも氷河期世代は何らか対策しなかったのは大問題だったのである。だからなぜ今になって少子高齢化を騒いでるかということである。その原因は氷河期世代が結婚してみんな子供を産めばそうはならなかったのである。だけど氷河期世代は政府からも社会からも放置されたのである。今になって問題にしてももう遅かったということになる。

こうして人間は先が見えないことで手を打たない。そしてその現実は目に見えて来た時やっと反省している。それで氷河期世代とは何であったのかとなるのである。でも既に時遅しになっている。それは例えばITでも日本は遅れた。それも先が見えなかったからである。私はワープロで通信をしていた。それがまさかこんなに通信が世界的になるとは思いもよらなかった。その時も先が見えなかったのである。先を見て手を打てばこうはならなかったのである。

日本人はそれだけの技術がないというわけではなかったのである。ただITというのは通信がこのように。グローバル化してその中心となる技術になることが見えなかったのである。
車などは製造業は見えるでもこのITは何か見えにくかったのである。今までの製造業と違っていたからである。だから人間というのはとにかく未来を見る先を見ることが重要になる。株でも先が見えれば大儲けになる訳である。でもその先を見るということは一番難しいのである。一年先すら何を起きるかわからない。だから来年のことを言えば鬼が笑うとなる。それだけ何が起きるかわからないからそうなる。氷河期世代も当時はどういう影響を将来もたらすのかを見なかったから今日がある。でも今になるともう遅い。それで氷河期世代が60才とかなるとさらなる地獄がまっているとなる。。
posted by 天華 at 09:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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