2023年07月29日

北郷(鹿島区)での野馬追祭りの儀式 (野馬追は侍の子孫しか出れない歴史の保存の祭り)


北郷(鹿島区)での野馬追祭りの儀式


(野馬追は侍の子孫しか出れない歴史の保存の祭り)


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総大将も只野氏である

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蝉鳴いて年に一度の御行列



一際に杉の旗印只野氏や南朝の末北郷の要


一同に会して相馬の殿迎ゆ法螺貝響き勇みけるかな


北郷に集う侍面々に神酒(みき)を賜り出陣かな


法螺貝の鳴り響くかな炎天に浜風にそ旗のなびきぬ


北郷に古式ゆかしく宇多郷と出陣するや儀式変わらず


街中に馬いななきてその声の馬なおを生くと響きけるかな



北郷に(鹿島区)に宇多郷の侍を迎える儀式が行われた。この儀式は変わらないのである。だから野馬追を見に来た人で歴史に興味がありこの儀式は変わらないから見たい来た人がいたのである。やはりそこまで興味を持つ人は歴史に興味を持っているのだろう。時代劇ではこうした儀式は作られる、脚色されて本当の歴史ではないのである。


野馬追の特徴はこうして歴史の保存だから勝手に変えられないのである。だから野馬追に出る家はもともと侍の家であり。甲冑とか旗が旗が伝えられてきた古い家なのでそのほかの人はそういうものは伝わっていないから出れないのであ。そのことで歴史を伝えるということで価値がある。


でも逆に参加できるのはもともと侍の家でありそのほかの人たちは参加できない。ただ見るだけなのである。だから野馬追は全員で盛り上がるということができない。そこに問題があるのだがそういう祭りだということである。別に青森のねぶた祭りなど旅行者でも簡単にハネトになれる。誰でも祭りに気軽に参加できるのである。 


北郷の鹿島区の歴史は南北朝の戦いで霊山から落ち延びた人たちの子孫のが鹿島区を形成している。その旗印は杉の旗印であるから分かりやすい。それもそれもいくつか行列に出ていたからである。 

その基は郡山市の多田野村から発していたのである。 ただ、どうして多田野村なのか?そこから先がわかりにくい。 そもそも野馬追は旗祭りというとき旗の種類が3000あるとか多様なのである。その謂れがわからないのである。いろいろ調べてみても探りようがないのである。

ただ杉の旗印はわかりやすい。


その他はいろいろあって、どういう謂れなのかわからないので。でも確かに一つ一つの旗にそれぞれの謂れがあったのだがそれがわからなくなった。またの由来は鎌倉時代までも遡る。西の方からその旗の由来があるからさらに分からな年に一回しかチャンスがない。旗の種類にしても多いからいい写真が撮れないということもある。でも何か野馬追というのは写真を撮るのにいいのである。だから写真を撮る目的だけで見に来る人がいるのである。ある人は80万のレンズを使っていたのである。カメラと言うのはレンズの方がそういう風に高くなる場合がある。野馬追は被写体としていいのではある。?


でもその機会は年に一度しかないシャッターチャンスは無い。カメラに凝ると性能もあるがいかにシャッターチャンスをとらえるかである。特に動くもの鳥などでもそうである。シロチドリを撮れたやはりここに住んでいて撮りやすいからである。遠くに行き何か珍しいものを撮ろうとするとなかなか出来ない。 また、動画を取るにしても結構疲れ写真を撮るにしろ、動画を撮るにしろ結構な労働になるので。今日は特に熱かったからぐったりとしたのである。とても明日の雲雀が原での神旗争奪戦には行けない。異常なな暑さだからである。こうなると熱中症で倒れる人がいるかもしれない。鎧兜をかぶって重いのだから余計にそうになる。



posted by 天華 at 18:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 野馬追い関係
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