空家の庭と芙蓉の詩(夏菊、鬼百合、夾竹桃)
海老への道
このカメがいいのである
すべてクリック拡大―鮮明に見える
夏菊や海広々と見える道
夏菊や海に向かいて走りゆく
鬼百合や今日も雷なり野を走る
芙蓉と空家の庭の石
大石はその地に根ずいたように
どっしりとそこにある
芙蓉が咲きのんびりとそこにいた
芙蓉は笑っている姉のように
おおらかに芙蓉は咲いている
海から涼しい風が吹き
夏の雲が山に湧き上がり
ここに石は動かない
でも津波に家は流され人はいない
その庭だけが残されている
雉の親子が入り込み
この庭だけが往時を語っている
またここを訪ねて暮れぬ
右田の野球場の近くに津波で流された家の庭が残っている。その庭には大きな石がいくつもありずいぶん立派な庭であること知った。その庭は津波の前でも知っていたが中に入ることができないのだから庭のことは外から見ていたからこんなに大きな石の庭がいくつのあったことでその石をじっくり見る。でも不思議なのは家にはあまり価値を感じられない。空き家でも古民家とかには価値がある。でも普通の空き家は価値がない。あるのは庭なのである。庭が立派な庭であればその方が価値がある。
津波で家が流されても石の庭は残っていた。そこにはいろいろ花も咲いていた。小さい畑もあってそこに花が咲いていた。いろいろな種類の花が咲いていた。そこに人は住んでなくても今でも咲いて小屋のようなのようなものがあるからその庭を誰も見てないというわけではない。空き家を見る場合。家にはそれほど価値あると見えないのである。でも立派な庭だと価値あると見る。
大きな平板な石がありそこに芙蓉が咲いている。それがなんともなくいいのである。芙蓉は花が大きく何かゆったりとした気分になる。それで私の姉のことを思い出すのである。姉は大らかな人でありいつも笑っていたからである。認知症になってからは悲惨だった。その笑いも消えたたからである。ただ姉にしても他者に親切だったとは言えな。だから意外と認知症になってからは誰も来ないし。死んでからも姉を偲びに来る人もいないのもそいうことがあったからなのかとなる。
私の母は性格的に何か苦労しすぎて余裕がなかった。働き詰めの一生であり子どもの時も遊んだことなどなかった。なぜならいつでも店で配達させられていたからである。それはみんなそういう時代だったのである。学校すら農休みがあり農家が忙しい時は学校も休みになったからであある。農家の子供もみんな働いていたのである。そもそも戦前なら子供はみんな働き手として育てたのである。そして親のために働かせるために育てた。それはまだ遅れた国だと日本に出稼ぎに来て親に仕送りしているのでそういう時代的に同じだとなる
ともかくそれぞれの家族の影響は大きい。家族もみんな違って私の家族は特殊だった。でも私が母だけにだけに育てられたらいいことはなかった。母は私と似て神経質であり、陰の性格だったからである。だから意外と親子でも性格的が合わないことがある。うまくいかないということもある。母の神経質的なことが細かいことにこだわることが嫌であり合わなかったからである。だから不思議なことは姉は大らかであり自分をにとってはいいものだったのである。ただ、そのマイナス点もあった。何かあまりにも自由放任にされたのでそれで問題がおきたのである。
いずれにしろ人間が形成されるには親と子とか兄弟とか姉妹とかまたは周りの人とかの影響がある。親と子だけですべてを賄うというか事足りるということはないのである。そもそも家族だけではいずれ介護とかなり。持できなくなる。家族でも昔のように大家族なら誰かが手が余っているから介護もできたかもしれない。今は家族でも核家族とかなり極めて狭い単位のものとなっている。ファミリーとは家族のことではない。大きな集団のことであり一族というか血縁でなくても小規模の会社のようなものでもあった。そういう大きな集団のコミュニティだとかえって何かあればその大きな集団の中で賄えるということはあった。
とにかく芙蓉の花は大きく咲いてゆったりとさいているからいい、
夾竹桃も咲いていた
和名のキョウチクトウは、漢名の「夾竹桃」を音読みにしたのが語源で、漢名は葉がタケのように細く似ていること、花がモモに似ていると中国人が思ったことに由来する
確かに葉っぱ竹の葉のようにとがっている。花の名前は葉の特徴からつけられたものが結構ある。桃がついているのは花の色からそう名付けられた。でも夾竹桃には白い花があり。それも自生していた。沖縄西の西表島だったかその白い夾竹桃をジャングルで見たことがあるからである。 その庭に植えてあったのは白い夾竹桃だった。
他にもその庭には何か知らない花が咲いていたのである。
何か空き家は眼について気になる。でも家そのものには?価値が見いだせない。庭には価値を見出している。だから、その庭に花が咲いている時依然としてその庭は生きているともなる。だから空き家が多い時空き家自体の利用より庭を何か生かすという方法があってもいいとも思う。ただ、庭にも色々ありやはりいい庭は少ない。立派な庭にするには石であれ木であれ金がかかるからである。
だから立派な庭を残した家はやはり金持ちの家だったともみる。本当に私の庭は狭いから立派な庭にしようにもできない。それでも庭があればそこに自然があり安らぐのである。
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