2023年08月24日

酷暑で疲れるー生け花の心ー若竹に白百合 (日照り、二宮尊徳堀り)


酷暑で疲れるー生け花の心ー若竹に白百合

(日照り、二宮尊徳堀り)


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若竹の伸びてひびきぬ蝉の声

若竹に白百合挿して朝清し心清らかに勤むべしかな

真直なる竹にしあれや白百合の挿して映えにき朝の清しも

朝に汲む井戸の水かも白百合の我に向かいて咲きにけるかも

日照りにも尊徳堀に勢いよく水は流れて田を潤しぬ


このこの暑さは以上である。朝の5時から7時くらいまで涼しい。後夕方が涼しい。でもそれでもちょっと動くと汗が出てぐったりと疲れる。日中は外に出歩くことは危険になる
それでも何とか竹を切ってきて白百合はそこらじゅうに咲いていたので切ってツボに刺した。生け花というと別にそれが専門家に習うことでもないな身に着くというわけでもない。
つまりもともと生け花とは野の花を手折って挿したことから始まっている。だから別に高価な花を買わなくても本来は野に咲いている花を挿して楽しむということが始まりだったからである。 野の花のことを知らないと実は生け花のこともわからないとなる。その野の花を知るためには都会では無理なのである。

田舎でないと野の花は咲いていないから野の花の心を知ることはできない。花の心を知る花を知るということはやはり常に身近に接していないとわからないのである。
竹はどこででも入っている。だから別に誰でも切ってもいいのである。今回は若竹に注目した。竹は真っ直ぐに伸びる。竹にふさわしい言葉が万葉集に出てくる真直なるである。竹が真直にに伸びてゆく。その伸び方も早い。セミの声ががその竹に盛ん響く。みるみる竹まっすぐに伸びてゆく。

ともかく朝からでも暑い。今8時頃になっているからすでに熱いのである。それで何もする気がなくぼーとしていることになる。まず今年はクーラーなしでは病気になるような暑さである。テレビで見た73歳の老人が三畳の間に寝起きしているとそれもクーラーもないのである。わずか窓を開けて風を入れてるだけでまさに灼熱地獄の中に住んでいると同じである
今年は暑い。確かに夕方と早朝は涼しい。でもちょっとでも動くと汗びっしょりとなるのではそしてぐったりとしてしまうのである。秋なのに秋はまだまだである。

日照りにもなっていて飯館村の溜池は仕上がっていたただ南相馬市辺でわまだため池とかダムが干上がるまでにはなっていないでも相当に水不足である。横手の坂を上る土樋とは樋があり鉄道の上を水が流れている。尊徳の教えで作ったとされている。尊徳神社もあるから二宮尊徳がこのうちに来て教えて教えたわけではない。教えを受けた弟子が習って作ったのである。でもなぜこの辺で二宮尊徳のことが賞賛されているのか。それはやはり何かそれだけのものがあったということである

この堀の水はカラカミ堤の方から流れてくる。ぱそこは大きな包だからなかなか干上がることはないだろう。それにしても新潟県あたりでは干ばつになって米も取れないとテレビで放送していた。新潟県の暑さも異常である。ともかくこの暑さには参った。動くと汗びっしょりとなって疲れる。膝と足を悪くしたのもまずかった。それで自由に動けなくなったから余計に疲れたのである。

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