処理水放出は安全なのかー東京の為に犠牲になる地方
東京が災いを生むー膨大な電気を消費する東京
●六ヶ所村は年収1300万円
あなたは年収が1300万円もらえるなら、原発の町に住みますか?
六ヶ所村の1人あたり平均所得1363万円
青森県は、「市町村民経済計算」結果を発表し、1人当たりの市町村民所得が
県内で最も高いのは、六ヶ所村で1363万円6000円だった。5年連続1位。
でも、事故が起きれば半径何十キロもの地域に影響がでるのに、原発の恩恵を受けられるのはほぼその周辺の方だけでしょ?
おかしな話だよねぇ〜。
そりゃ〜原発推進派住民を妬む気持ちがわかるよ。。
処理水というとき放射性物質が薄められて安全だという感覚になる。でもそこにまた言葉による印象操作がある。いくら処理しても本質的には放射性物質は消えないし薄めるないと言う
つまり放射性物質のやっかいなのは核のゴミのの厄介なのは簡単には消えないということである。プルトニウムなら2万年も消えないと言われそれだけ簡単に消せないのは核のごみであり放射性物質なので核の恐ろしさがある。
そして膨大な核のごみの処理するために中間貯蔵施設が各地に作られる。青森の六ヶ所村ではすでに作られてすでに処理がなされているのがなされているがそれもうまくいっていないという
だからこの核のゴミをいかに処理するかということは原発ではまた大問題なのである。そのために中間貯蔵施設とか北海道でも山口県でも上関とか辺鄙な村にその施設をつくる。そこで驚いたのは六ヶ所村だと年収が1300万にもなっている。これはすごいと思った。原発というのはこうして辺鄙な村に立てたり中間貯蔵貯蔵施設でも作る。
なぜかというとそうした村は貧乏でありどうしても金が欲しい。その金によっていろいろあっても政府の言うとうりになり受け入れるのである。それは福島原発がそうして作られたからである。双葉富岡とかは浜通りでもチベットとか言われていた。いわき市とか原町市とは人口も多いし会社もあったし働き口があった。
でも双葉とか大熊とかは離れていて大きな会社もなかった。そのために出稼ぎで生計を立てる人は多く地元で働きたいということで原発を受け入れたのである。原発を建てようとする政府はそれを狙って金をばらまいて買収するのである。
現代では政府であれ大企業であれ小さな自治体など簡単に買収できるのである。そこの住民でも自治体も金で買われてしまうのである。つまり自治体はそうした政府であれ大企業に対抗できないのである。そして六ヶ所村のように年収1300万にもなっているのでそういう村はもう村という自治体が中間処理貯蔵施設の雇われていると同じである。
そうなればもはや何も危険でも文句も言えないのであ。なぜならそうしなければ生活すらできなくなるからである。その弱みを知っているからそういう辺鄙な貧しいところに原発を建てたり中間貯蔵施設を作るのである。
実際にこの辺で最低の生活をしている人は原発裁判で勝利してその補償金が16万でも入ってくることが大きいのである。その時住んでいて死んだ人が親族であればその分も入ってくる。それを担保にして金を貸してくれと言われたからであるこうして苦しい生活をしている人はどうしても原発の安全性より金になってしまうのである。
●村の共同性は消失していた、漁業者も大工も百姓だった
もう一つは現在の村と言ってもそれは一つの共同体というものでもない。例えば百姓というとき漁業する人も百姓だったという。つまり漁業者と農民は別なものではなかったのである。でも漁業者は原発を建てるに際して特別補償金を事故前事故前ももらって原発御殿が建てられていた。それはなぜなのかというと生活が分離してきたからだと思う。村に入会権の山があり共同で利用する生活があった。
でも明治以降は山でも無数に所有権が個人に分割されてしまったのである。そのように漁業者もまたもともとは百姓だったのだが漁業専門者となってその利権を独り占めしようともしたのである。つまり自治体が一つとなって原発に反対するなどできなかった。そういう村の基盤がなくなっていたからである。
明治以降の社会はこうしてやはり一体感がなくなり専門家となりここに分断されてきた社会である。だから自治体というものすら実際はそこで自治などもなかったのである
現代社会の問題はこうして一つの共同体として機能しない。だから本来は百姓というとき農民だけのことではなかった。そこにいろいろな職業の人もいてその人たちが百姓であり村を作っていたのである。それがバラバラにされたとき漁業者は漁業者だけの利益を追求する。原発でも補償金をもらえばいいとしかなくなる。その村内での議論もないし村全体で何か働きかけるということもなくなったのである。
でも巧妙なのは原発を建てる政府でも東電でも人口が多くなればその保証する範囲も大きくなる。
だから一部の者に補償して全部にはしないのである。一番いいのは人口の少ない辺鄙な村に原発を建てまた中間貯蔵施設を作ることなのである。。でもそうした核のごみの問題でも一地域の問題としてあるのではなくもしそこに何かあれば世界にも拡散されるそして世界から批判され責められることにもなる。だから一地域で金になればいいということで受け入れることに問題があるのであるなぜならもし事故があれば世界的な問題となり中国でも韓国でも海産物を輸入しないとなったからである。
現在の問題はこうして社会自体が部分化したり専門家したり分かれて統一がとれなくなる。ところが自治体というときそれはどういうものなのか。自治体とはやはりミクロコスモスであれ自然と密接に結びついて作られている。自治体とは本当は生態系と結びついていてそれなくしては存在し得ないものである。だからこそ放射性物質で空気であれ水であれ気すら土手あれ木であれそこにその自治体を形成する基本的なものが放射性物質に汚染された時住民が進めなくなったのである。これほど深刻なことはなかった。確かに飢饉で相馬藩でも住めなくなり1/3二人口が減った
でも越中からのの移民で埋め合わせて回復したのである。。それも深刻だがそれでもそれができたのは別に土地が汚染されていなかったからである。越中などの移民で埋め合わせて回復したのである。土地がありその土地を開墾して住むことが出来たのである。それができたのは生態系に基づいた基盤があったからである。土地自体が汚染されたら回復できないからである。
●東京など大都市の影響が大きく災いが地方に及ぶ
ただ現代というのは大都会を見ればわかるわ生態系から分離して生態系とは関係なく暮らしているようにも見える。でもその水がどこから来ているのか。それで東京の水が実際は群馬県などの山のダムから来ている。一時そのダムでも放射性物質に汚染されたとして危険ともされたのである。
だからそもそも人間社会というのは生態系から離れて生活できないのである。空気でも水でも土でも汚染されたら住めなくなるのである。だからこそ原発であれその核廃棄物であれ危険なので東京であれ都会に住んでいる人はそれほど自覚しない。でも生態系から離れて人間は生きていけないので。それは都会でも同じなのである。なぜなら空気であれ水で土であれ木であれ汚染されたら食料自体が都会に入って行かない。汚染放射性物質に汚染されたら食べることもできなくなるのであるか。
ただそういったは言っても東京を見ればわかる。1000万のとか都会で夜まで煌々と明るくして電気を使っている。その電気の量は膨大なのである。
そのためにどうしても原発が必要になってくる。別にすべての科学技術が悪いというものではない。ソーラーパネルでも何か小型だと電池も必要ないから防犯用として使ったらいいものだと思った。
だから原子炉でも小型原子炉にして使えば事故があっても対して被害にならないからいいとなる。ただそれにしても東京見ればわかる膨大な電気が必要なのである。ということは東京自体が1000万もの人間が住んでいるということが問題なのでその消費する電力が膨大なものだからであるとなると大都会自体が人間社会にとって危険なものだとまでなるなる。
東京の影響はその周辺でも福島県でも大きいものだったのでそれだけの人口を抱えていれば流通もあり影響は大きい。そもそも東京が人口が増えると常磐炭田があり石炭を燃料として東京に鉄道で運んだ。それが常磐線の始まりだった。南相馬市の原町機関区やはり木材や石材や物資をを東京に送るために作られた。それだけ東京の影響は前から大きいものだったのである。
意外と東京は離れているからそんなに交流がないように見えても大正時代からでも結構交流があった。大正以後になるとさらにあった。私の母は東京に女中に出た。そこで東京の人と結婚したからである。また姉は看護婦の資格をとるために東京に出ていたのである。このように東京というのはやはり中心的役割を果たしていたからそうなっていたのである。
だから東京に出る人は戦前でも結構多かったのである。そうしてあまりにも肥大化したのは東京でありその東京がやはり災いを作り出したのである。原発はその一つでもあった。その電気を消費するような莫大だからである。
でも東京でも別に東京湾あたりに原発を作ればいいのだが危険だから離れた場所に作ったのである。東京湾だと実際は津波でも弱められるから意外と安全だったかもしれない。
でも東京には絶対に作れなかった。それは東京が日本の中心であり政治の中心でもあるから経済でもそうでありその安全を図るために離れた場所に作ったのである。そして東京都の1000万以上の大都会はその電気の消費する量は莫大なのである。そこに何か元凶があったのかもしれない。
もし電気は来ないとしたら今年のような酷暑ではもうクーラーがなかったら耐えられないとなってたからである相当に死者数も出たかもしれないからである。それだけ電気が膨大に必要なのである。そのこと自体が既に大問題なのである。つまり東京は実は災いを作り出すものとなっているのである。そんな巨大な都市があること自体が問題なのである。
つまり現代とは電気社会なのである。電気が止まってしまうと社会活動まで止まってしまうのである。
中間貯蔵施設にしてもそれは安全なものにはなっていなかった。その処理には失敗していたのである。処理水でも実際は放射性物質は消すことはできない処理したから安全だということでもなかった。何か原発に関してはごまかしがある。素人でわそれを実際に知りえないからである。だからこそ隠蔽が続けられていたのである。もし早い時期にその隠蔽されたことを暴いていれば原発事故もおこらなかったかもしれない。たとえ地震が来て津波が来ても守られたかもしれない。でも学者たちが13mの津波が来ると警告したときも全く無視ししていたのである。それは金がかかるからしたくないからそうしたのである。
そして一番力を注いだのは安全神話を作り政治であり官僚であれ検事であれ海上保安庁であれ自衛隊であれ警察関係であれそういう権力の総体で安全神話が強固に作られたのである。マスコミも莫大な宣伝費をもらっているから何も言うこともなかったのである。
それを崩したのは津波であれ地震であったのである。何か中国でも北京を守るためにダムの水は放流されたやめにほかの都市が洪水の被害にあった。それもまた原発事故と似ていた。原発は別に東京湾に作ってもいいものだったが東京わには絶対作れないのである。そこには政府の要人やら経済の中心地だから北京と同じく守らればならないとなっているからである。それでほかの都市は犠牲になっても仕方がないということになる。
何か原発でも巨大であり都市でもでも1000万以上とかなり巨大になりすぎて問題を生んでいる。それだけの人口養うということがそれ自体が問題なのでそのために莫大な電気が必要となってくる。そのためには原発も必要だとなる。だから大都市というのはとても自然と調和するものでないしそこから大破綻が産まれてくる。それで東京に大地震が来て破滅的大災害が来ると警告するか科学者がいる。それは単なる脅しではないのである。だから東京脱出を真剣に考える必要がある。危険な場所に住んであること自体リスクだった。それは津波でも証明されたからである。
東京のような人口密集地帯で地震と大災害が起きたらもう大破局となりもう救済も不可能になってしまう。唯一助かるとしたら危険な場所から脱出することだとなる。
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