井戸水は安全なのか?
(沸騰すれば安全であるー忘れていて近くの井戸の水を飲む)
このように急速に水道が敷かれていった背景には、水系伝染病であるコレラの大流行がある。一八八二年、日本ではじめてコレラが発生する。これは第一次の世界的流行の影響であり、西日本から東海道にまで広がった。
井戸の近くにある従業員七〇人のビール工場では、重症のコレラを発症した人はいなかった。調べてみると、工場の従業員は井戸の水は飲まずビールを飲んでいたのだ。そこで、汚染された井戸の使用を禁止にすると、コレラの流行は、ぴたりと止んだ
井戸水のことを調べたらいろいろ危険なことが書いてあった。それで不安になった。市役所の方に聞いてみた。審査してもらって持ち主は安全だから飲んでいいと言われたので飲んでいる。
その調査結果も持ち主に出している。それは放射性物質だけではない。その他の細菌類なども調査したという。でも本当に安全なのかどうかはどうも保証されていない。その聞いた人に明確な答えはなかった。それでやはり不安は消えなくなった。確かなことは地下水は何かと菌が入りやすいことである。
でも子供の時井戸がないのだからその色の水をもらって飲んでいた。ほかの人も井戸の水を飲んでいたのである。それで細菌が入っていて病気になったということも聞いていない。でもやはりばい菌が混入して病気になった。そういうことがあり水道が作られるようになったのである。
現実にイギリスでわ井戸からこれらコレラ菌が水に混じって伝染した。だからやはり井戸というのはがあったのである。
とにかく今なら山の清水など飲むことはできない。山の清水は上流でも動物のフンなどが混じり意外と汚染されているから危険である。それは直感的にわかる。
つまり自然の水そのものは今は飲むことは危険である。この辺は特に放射性物質に汚染されているから余計にそうなった。でもこの清水でも井戸の水でも沸騰すれば細菌は死ぬという。だから一旦沸騰させてそれをまた冷やす。それも手間になるな安全を図るためにはそうするほかない。すると何か面倒になってしまうことは確かである。
ただこうして近くに地下水から水が50年前からでも出ているその水は尽きることがなかった。それでその水を飲んでいる時何か買って飲むものとは違ったものを感じた。
つまり直に自然の恩恵というか恵というかそういうものを実感した。水道の水とかでわ何かそういうものを感じなかった。水道だったらやはり金を払って買ってるということに今ではなるからである
それを感じたのはやはり近くにあり50年前以上からもその水は絶えることなく地下から出ている。
その恩恵は今もあったということである。だから今では水を買っている人が多い水道の水もやはり金を払って買っているのである。でも全く金も払わず無料で水を利用して飲める。そのことは直接大げさに言えば自然とじかに繋がり自然によって生かされているという感覚にもなったのである
とにかく現代は自然の恩恵を直接的に感じることがない。水ですら何か買っているという感覚になる。そこには必ず金が介在するのである。だから金を払わないで水を飲めるということに感動したとまでなる。でも現実はこうして自然から直接恩恵を感じるということはまれになる。
でも最近日本というのは貧困化して物価も上がり何でも買っていたらもう生活すらできなくなる。水でも買っている人が多い。その金もないという人まで増えている。すると近くの水は無料で飲めるということは貴重なことになる。
人間とは今遠くへ遠くへと関心が向くが意外と近くは今関心がなくなっているのである。それは人間に関してもそうである。外国の困った人には援助してもすぐ近くに困った人人がいても無関心であり援助しないのである。おそらく近くになにかあったものが人を生かしていたものは忘れられているのかもしれない。その忘れられていたものとして隣の井戸があった。この井戸水を飲めばありがたいと思ったのである
それただそれも簡単に飲めるものでもなかった。細菌があるからとして沸騰してまた冷やすとなると手間だし沸騰するどこやはり燃料が必要であり電気代も必要になってくる電気代も必要になってくる。そこでやはり金がかかるとなる。でもただ近くに恵みがあったということは発見である。
最近よく言われることで地産地消とあるわそれはこの井戸水に当てはまる。その水は60年前70年前からも戦前からも絶えることなく水を供給できていたのである。そしてここに水があれば何かあったときこの水を利用できる。するとここに水が自由に無料で使えるということは力強い備えともなっているかもしれない。
確かなことは人間の生活があまりにも何でも買うということになり金なくしてもはや呼吸すらできなくなってしまうのかとなる。つまり空気すら金で買わざるを得なくなってしまうのかとまでなる。
なぜならここでは空気すら放射性物質に汚染されたからである。それで住めなくなったからである。だから原発事故というのは何かこうしてもともとあった水でもあり自然の恵みを忘れていた結果でもあった。ただ矛盾しているのは井戸の水でももし沸騰して飲まなければ安全でないという時その沸騰するのに原発の電気を使うって言ったらそれは何なのだとなってしまう。何かそういう矛盾が現代には常にある。いくら現在では電気を否定しては生活もできないからである。
とにかくこの辺ではやはり原発事故がありもともと自然の恵みがありそれを見直すという再発見するということも必要かもしれない。でも飯館村あたりではもともとまだ自然の水とかを利用していた。でも放射性物質に汚染されてそれもできなくなったということもある。ただもともと地下水とか清水でも危険なものがあった。やはり沸騰しないと飲めないということがあった。飲み水以外ならばそういうことはない。やはり口に入れるということは問題だったのででも子供の時は別に井戸の水をみんな飲んでいたと思う。それをいちいち沸騰して飲んでいたとも思えない。
確かなことはやはり昔からの生活を見直すことも必要になってきた。だから地産地消とかも言われるようになったのである。水まで遠くから買っていることはやはり不自然なのである。その輸送するコストもかかる。本来は地産地消は自然な姿なのである。ただこの辺では原発地区でも放射性物質に汚染されてできなくなったことはあまりにも大きな損失だったのである。
近くが大事というとき介護とかなると近くが大事になる。意外と隣の市とか車で近いとしても娘息子が住んでいるとしてもいちいち車で来るのが手間になる。もし隣に住んでいたらそいうことがないから便利なのである。
脳梗塞になって自転車にも乗れなくなった女性がか自分のところに歩いて来ている。
つまり病気になってもなお近くなら歩いても来れるとなっていたのである。これが遠くなったらとても歩くことは無理である。近くだったら様子を見に行くこともできる。遠くになるとなかなか車を持っていても面倒になるのである。
だから意外とこうして老人が病気になったりすると近くの大事になるのである。昔だったら隣近所に一応店屋はあり簡単な食事を用意くらいできたかもしれない。今は隣に店は全くない。それでその女性は近くに店があったらなと作ってほしいとか言っているのである。
でも今の時代では無理である。でも高齢化社会になると近くが大事になるのである。車も運転できなくなる人もありその人たちは自転車に乗っているからである。
だから高齢化社会に適したものとは近くで用が足せることが大事になってくる。本当は近くの人が助け合えば効率的である。でも今はそういうことはない。車社会になれば近くは遠くが近くになり近くは遠くなってしまったのである。
だからそういう車社会も高齢化社会になれば見直さなければならないことがある。何しろ老人と病人が増えてくるだけの社会であるそれはマイナスにしかならないとみるがやはりそれに適した社会というのはまた健康な人でも若い人でも将来的にも住みやすいものとなるかもしれない。だから今かえって近く見直さなければならなくなっているともなる
自然の恵み
隣の井戸の水は子供の時から
それもさらに戦前からも使われていた
その水は絶えることなく地下から出ていた
地下に蓄えられてたえることはなかった
その水を飲んだ時何かその地下と通じ合う
自然とじかに通じ合うものを感じた
そして自然の恵みを地下に感じた
自然の恵みは尽きることはない
今その恩恵はすぐ隣にあったのだ
しかし忘れていたのである
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