インターネットで郷土史の研究ができる時代
(神は人の移動とともに移動するー南相馬市鹿島区秋葉神社(只野氏)の由来)
天明というとき飢饉のあった時代である。相馬藩では人口が三分の一に減った
だからここも古い土地である。国誉の戒名は何を意味しているのか?国の誉れになる人だったのか不明である。
「橋本郷土研究会資料」相模原市
郷土史研究というときその方法方法がある。私の場合は地名に興味を持って歴史でも郷土史にでも興味を持った。
でも学問というときそれをどういうふうに研究するのかそれが問題になる。今になると郷土史というのはインターネットの中にいろいろと発表する人が増えてきた。郷土史というのはその市町村でも数が多いからとても調べようがない。確かに本はいくらでも出てる。でもその本でもとても買うことも難しいし調べることも難しかった。インターネットだと学者の論文も出てるしその地域に住んでいる人が郷土史を発表すればそれが全国の人に読まれることがある。でも数が多いから何が重要なのか検索するのが難しいのでは
でも郷土史という時数が多いから調べにくい。でも郷土史でも必ず日本だったら共通性がある。それはなぜかというと神社でも必ず例えば日吉神社とか山王神社とか秋葉神社とかなどこにでもある。それはなぜかというと人が移動してきてもたらされた神だからである。例えば日吉神社とかは南北朝の争いで霊山から逃れてきた人たち落ち伸びてきた侍がその神も一緒にもたらしたからである。
それで南相馬市の鹿島区の日吉神社でもそうである。でも日吉神社となれば全国どこにでもある。ここにだけあるものではない。日吉神社の元は比叡山のあり比叡山は天台宗とかでもあり日本の仏教の総本山になっていたのである。だから鎌倉時代でも日蓮がそこで修業したり日本の仏教の比叡山から広まったのである。
近くの秋葉神社には郡山市の多田野村由来の只野氏の碑がある。それは最近作られたものである。神社を守っていた只野さんは死んでいる。だから祭りも途絶えるともなる。南北朝の争いの時霊山から逃れてきたのが只野氏である。。だから南相馬市鹿島区には只野という姓が50人くらいもいるのでは。只野一族の村でも街でもあった。
だから秋葉神社でも只野氏が移動してきてもたらされたのである。まず人が移動してその人が神も一緒にもたらして移動しているのである。秋葉神社というのは秋葉山がありそこで修験者がが山伏が修業した場所である。だから法院とかの墓がある。
郷土史でもその土地独特の神というのはほとんどない。たいがい日吉神社とこのように総本山があり京都とか奈良から神も移動してきたのである。だからいくら郷土史でもその土地独特のものというより神に関しては共通したものが多いのである。だからかえってどこの郷土誌でも研究していれば共通したものは必ずある。すると理解しやすいとなる。その土地だけにしかないものではないからである。ここにも日吉神社がある秋葉神社があり他にも共通したものがある。だから他の郷土史でも理解しやすいからである。まったく馴染みのない神社というのは少ないのである。
このPDFは一冊のの本のようにもなっていて何か郷土史を調べる基本のものとして優れていると思った。だからこれは読んでおいた方がいい。
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