秋になってもまだ夏なのか(鮎、カンナ、朝顔。月影、十五夜)
朝跳ねる鮎や一日始まりぬ
十字路に人交わりてカンナかな
縁白き朝顔一輪隠れ咲く
ゆかしきや朝顔一輪隠れ咲く
苔の庭月影さして隠る石
十五夜の月や小窓に覗きけり
昨日も結構暑かった。朝に近くの川で関のところで鮎が跳ねていた。もう10月にもなるのにまだ夏の感じだった。
何か地球が温暖化して日本でも春と秋がなくなり夏と冬になってしまうという。そしたら俳句などもできなくなる。日本のように明確な四季があって俳句が生まれたからである。その変化もまた大きいとなる。なぜならそうなれば日本の文化自体を変えてしまうからである。
ともかく川が流れてそこに朝に鮎が上る。そして一日の始まるというとき自然とともに一日が始まるということである。それが農民が6割とかいた時代になるとまさにあゆのように自然の中で一日が始まる。今はみんな会社に勤めるというとき何か自然とともに生きるということもない。田舎ですら農民は1割ぐらいしかいないのだから自然と共に生きるという人は相当に少ないのである。
でも自然とともに生きるということは鮎のように清流を懸命に上り泳ぐそれを見ていれば気持ちが良いのである。今日一日も清流を上り生きるとなるからだ。大都会だと人間の群衆の濁流を上り出勤するともなる。
また十字路に畑がありカンナが咲いている。そして一日が始まるというときその花と共に人も生きている。また広い庭のある垣根のあるところを見たら隠されて朝顔は咲いていた。その縁が白いのである。それで心に止めることになった。
月影が差して苔むす庭に隠されて一つの石がある。その石は自分のことなのである。石はそうして沈黙している。自分もまたそうして隠れ住む隠者のように沈黙していたのである。十五夜の月は一時は出ていたが雲に隠れ消えてしまった。ただ小さな窓から丸い十五夜の月を見た。ただまだ秋という感覚がなく季節的に合わなくなってしまった。
だから秋でも暑いということは俳句の季語でも活きなくなる。つまり日本の文化が部分的に消失してしまうということである。だから温暖化はその影響が大きい方でまた地球は寒くなると言う人もいる。だからこの気候はわからない。これだけ科学が発達してもわからない。本当に二酸化炭素の影響なのかそれも明確ではない。やはり依然として科学でも完全にはである解き明かされていないのであるはあ
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