2023年12月06日

みちのくの枯野の俳句十句【旅は遠回りでも時間をかけるべき】


みちのくの枯野の俳句十句【旅は遠回りでも時間をかけるべき】

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みちのくの争いの跡枯野かな
みちのくの枯野の駅やその名かな
みちのくに黄金出して枯野かな
みちのくの枯野に残る金色堂
みちのくの枯野に月や都跡
みちのくの枯野の沖に船一艘
みちのくに深く休みて枯野かな
みちのくの枯野に黙し石一つ
みちのくの枯野に眠りやすらかに
みちのくの消えにし人や枯野かな

陸奥(みちのく)の真野(まの)の草原(かやはら)遠けども面影(おもかげ)にして見ゆといふものを 笠女郎

奈良時代からみちのくは辺境の地として奈良の人々に知られていた。それで真野の草原とは萱原のことではなく一つの地名だと私は考察した。このことはちょうどここが気候の分かれ目であり境目になっていたのである。だから南相馬市の鹿島区の海老村にマルハシャリンバイという奄美大島から種が流れ着いて自生している。その南限の地であり気候的にも暖かで自生する場所だったのである。また照葉樹林文化の南限の地でもあったのである

「天皇(すめろき)の御代栄(みよさか)えむと東(あづま)なる陸奥山(みちのくやま)に黄金花咲(くがねはなさ)く」

宮城県涌谷町だ。天平21(749)年に同町で日本で初めて金が産出し、奈良・東大寺の大仏の塗金用に献上。時の聖武天皇は大いに喜び、歌人の大伴家持(おおとものやかもち)が言祝(ことほ)いだ歌が万葉集に収められている。

これは宮城県涌谷町のことでありそこに天平という記された木簡が発見された。だからそこは明らかに歴史的に証明された場所だとなる。真野の草原の場合は石巻にも真野という地名があり萱原という地名もあるから二つの説がある。でも南相馬市鹿島区が有力なのである。

とにかくみちのくとは何か。それは奈良時代から既に知られていて道の奥となり辺境の地だった。みちのくといってもすでに奈良時代から歴史が始まっている。だから北海道などとは違ったものとなっている。そしてみちのくというとき平泉までがみちのくという感覚であり岩手県からさらに青森県になるとみちのくということにもならない。なぜなら江戸時代でも芭蕉は旅してみちのくというとき平泉までだったとなる。芭蕉が旅してきた結果みちのくという場所をイメージされ定着したのである。だから一人の詩人によってみちのくをイメージされるようになったから詩人の功績も大きいとなる。

なぜならみちのくというとき必ず芭蕉の奥の細道をイメージするからである。みちのくは今でも奥の細道という感覚は残っている。芭蕉は夏に来たがむしろみちのくを感じるのは秋から冬にもなる。枯野がふさわしいのである。でも東京になるともうそういうものは全く感じられない。でも江戸で枯野見ということが行われていた。枯野をわざわざ見に行ったのである。江戸の中心から離れて枯野を見に行ったのであう。だからまだまだ江戸の周りは自然があった。でもこの枯野見は今や東京でも電車に乗りかなり離れないと感じることはできなくなったのである。

旅をするときその行路が違っていると印象も違ってくる。東北新幹線とか東北線で来て平泉までくるのと石巻線で来るのは相当に違った感覚になる。みちのくはそこで広い感じるからである。。だからをすすめるのは石巻線を通って平泉に来ることである。
でもこの線は相当に不便である。かなり時間がかかってしまう。でも急いだ旅は最短距離を行った旅は印象として残らないということもある。現代そもそも旅が喪失したのである。東京から新幹線で2時間で仙台につきそれから30分くらいで一関に行って平泉に行く。そういう旅はは芭蕉の地の果てまで行くような感覚の旅をしたような感覚とはまるで違ったものになる。そんな感覚は全くないし芭蕉が感じたようなことも感じないのである。それはもはや旅ではないただ移動しているだけなので。だからそこで感じるものは浅薄なものとなってしまうのである。

要するに旅をすることはかえって回り道をしてゆっくりと目的地に着くことである。でもこうして時間をかけた旅は忙しい現代ではしにくい。私は時間だけはたっぷり与えられていたのでできたのである。つまり旅を充実するには金をかけて豪華なホテルで料理を楽しむことではない、時間をかけることでありその時間がないことが旅を浅薄なものとしている。もう車では旅はないただ移動しているだけなのである。でも自転車で旅しようとしたら大変な苦労があり時間もかかるのである。でもそれが記憶に残る旅となり回想するのである。

夏草や兵どもが夢の跡。 5月雨の降り残してや光堂とかは何かみちのく象徴したものとなった。ただ夏だったので感覚的には違っている。むしろみちのくにふさわしいのは彼のなのであ。彼ので彼のわびさびの世界がみちのくなのである。未知の国は西のような堺は無い。依然として彼の世界だと思うな。でも逆にそういう芭蕉があまりに文明化して都会化して安らぎがなくなったら未知の子は依然として彼らの世界であるときそこに安らぎを感じるのである。

まず東京のようなところに住んでいる人は感覚的にも以上カス以上化する。そこに何か自然から遊離したものとなりビルとビルのはざまで群衆と大衆の中に人は埋もれてしまうのである。だからそんなところによく人間が住めるものだと思う。そこで四季を感じることもなかなか出来ない。江戸時代だったらまだまだ周りは周りには自然がありだからこそ彼のみという風流があり得たのである

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