2023年12月08日

投資は人間にとって不可欠なもの 【投資先がなくなると資本主義は終る】

 投資は人間にとって不可欠なもの

【投資先がなくなると資本主義は終る】

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藤原肇ー紙の爆弾

(3)ポンツィ金融(ポンジ金融)

 最も危ない状態。期待所得により利払いすらできない状態。利払い分についても借入が必要で、借入残高が増大していく状態。
 つまり借入を増加させることでしか、元金と利子の支払いができない状態を示す。大雑把に言えば、営業利益が支払利息を下回るような状態である。



●投資は人間に不可欠なものとしてあった

投資というときそれは本来悪いものではない。株とかとか離れても人間は常に何かに投資している存在だからである。今日は人間は何するにしてもそれは投資になる。例えば勉強するにしてもそれは未来への投資なのである。本一冊を買うにしても金がかかるわやはり知識を得るための投資なのである。一番分かりやすいのは農業でありそれも投資なのである。なぜなら種をまくそして肥料をやってその種が成長して実りなる。でもそこには必ず人の手間と時間がかかる。

だから農家の後を継ぐ場合はその作物を育てるノウハウが伝授されるから楽になる。でも一から始めれば農業は簡単にできるものではない。とにかく人間と投資は不可分に結びついている。種をまくことは投資であり未来に実りがあるから種をまくのである。何もしなければ何も得ることもないのである。だから投資というのは人間にとって別に資本主義の株式とか関係なく人間が存在してから投資ということは必ずあったのである。

つまり人間のすることはなんでも未来への投資なのである。例えばパソコンなどその出始めにはおもちゃのようなものでもバカ高いものだった。それはしょっちゅうフリーズしてまともに使い物もない使えないものだったのである。でも一台40万とかバカ高いものだったのである。それをしていた人は使っていた人は特殊な人たちだった。でもそれは投資だったのである。未来への投資になっていた。そこでbbsとか文章で話をするということが実は画期的なことだったのである。つまり通信機能が付いているということが一番画期的なことだったのでだから私が通信機能付の富士通のワープロを買ったということがインターネットにのめり込む減塩になっていたのである。

たとえその時おもちゃのようなパソコンでもそれを高いとしても買ったことはやはり未来への投資だったのである。ただその時はそれがこのように世界的に発展するということは見えなかった。でも実際は地域間のパソコンでの通信とか国内での通信はすでに始まっていた。富士通のニフティーではそうした通信をシステム化していたのである。でもそれをしている人はまだまだ特殊な人だったのである。だからこれほどまでに世界的になりもはや必需品となったことが驚きだとなる。ただ最初のうちはそれをそのパソコンを買ったり通信をしていた人は投資していたのである。

●投資は必ず未来に向ってする

それは未来に向かっての投資だったのである。だから人間は必ず投資する存在だということである。投資とは未来に向かっての投資なのである。だから投資に向いているのは若い人だとなる。なぜなら若いということはすべてこれから人生を始めるということであり未来があり未来に向かって何かしら投資することになるからである。つまり種をまくということである。そのが種は実りとなるのが投資したものを収穫するということである。

写真でも写真を撮るにはいいカメラとレンズが不可欠である。だからそれも投資なのである。私はソニーのα6000を買った。このカメラが意外といいものだったのである。その後いろいろ出たが画質はさほどかわらないのである。レンズでも中古の二万くらいのでも映りがいいのである。だからこれは投資してもお得だったとなる。αシリーズはその後いろいろ出ても画質はたいしてかわらないというからだ。画質が最優先されるからこれに投資したことがお得だったとなる。だから何か買うということも投資なのである。その見返りは大きかったとなる。

例えば投資が始まったという時世界航海に出る船に投資するという時そこに投資する人たちは必ずリスクはある。なぜならその時船で後悔することは危険に満ちていたからである。だから船が沈没して帰ってこなければ何も得られないとなる。でも無事帰ってくれば莫大な利益が入りで配分されるとなる。だから投資というのにわ危険がともなっているので

資本主義には何か投資するということが基本的にある。社会主義になると何かみんな平等になるということはあっても投資ということがなければ経済がどうしても停滞する。でも共産主義国家でも中国でも体制は共産主義でも経済は資本主義なのである。だから常に投資ということはされてきた。外国でも投資してきたのである。それは将来中国が人口も多いし国土も広いし発展することが成長することが見込まれたから外国でも投資してきたのである。

●老人は投資に向かない理由

ともかく人間にとって投資とは不可欠なのである。常に何かに向かって投資する存在なのである。でも必ずしも投資したからといってそれがそれがすべて利益となって帰ってくるとはならない。投資したものは利益は得られずただ損だけになってしまうこともある。農業にしても種をまいてもいろいろな影響で天候などの影響で収穫されないこともある。だから農業にしてもリスクがある。でもまず種をまいて育てない限り収穫は得られないのである。つまり人間にとって何かに投資するということは不可欠なのである。資本主義とはそうして投資するということで成り立っている。でもなぜ今資本主義が行き詰まっているかとなると投資する先がなくなっている。

成熟社会となり投資する先が無い。インフラでも道路でもなんでも整備されればもはや投資することはなくなる。さまざまなものが整備されれば投資されるということがなくなる。だから投資先がないからオリンピックとか万博とかそんなものに投資しても無駄だとなる。それだけ投資する先がなくなっている。高度成長時代はいくらでも投資する先があり銀行でわ借りる人がいくらでもあり利子が7%とかついていた信じられない時代があったのである。その時貯金していれば貯金しているだけで金は増えていったのである。今や銀行に金を預けても手数料取られたりして増えることもない。だからなぜ銀行に金を預けているのかわからなくなる。銀行にしても金を貸す先がないのである。そこで資本主義自体が行き詰まり限界に来ているともされる

そして投資というときそれは必ず未来に向かっての投資なのである。だから投資という時若い人にわ向いている。でも老人になると未来がない。後は死ぬだけだとかなってしまう。すると投資するのも無駄となってしまうのである。老い先短いとかなるとかなり何か投資するということがむいていないのである。私の家は古い家なので隙間風が入ってきて冬は寒い。それで家を暖かくするには窓が重要だという時その窓を直そうとしても広い家なので金がかかる。
でももし若い人ならその家に長く住むのだから未来への投資として金をかかっても治そうとするだろう。でも老い先短い人だぞ家にしてもそんなに長くすまないとなり我慢して住むかともなる。つまり若い人の感覚と老人との間隔は相当に違っているのである。例えば老人の介護にしてもそれは子供が病気になって介護するのとは違う。なぜなら子供は未来があり病気になっても直れば長い人生を生きることになる。

ところが老人の介護はただ死ぬだけでありその間介護するということになる。そこに子供のように未来はないのである。だからそこに労力を費やしても未来は無いとなる。だから若い人が老人を介護するというのはそれが職業となるのは何か無駄に思えるのであ。老人を介護しても老人には病気でも治らない人が多いしただ死んでゆくだけだからである。老人が未来を考えて投資するということもしにくい。老い先短いのだから例えば種をまいても木を植えてもそれが成長するのに時間がかかりその木が成長して実がなるというまで待つこともできない。そのうちに死んでしまうということである。

でもこの辺で津波でまず松林が流されたがそこにまた松を植えた。その松は成長している。でもその松が大きくなるのは50年もかかるとなればとても老人はその成長した松を見ることはできないのである。だから老人には投資が向いていないのである。老人は投資これまで投資したもの成果として発表するのに向いている。例えば私自身が旅に費やしたとしてその旅のことを書けばそれも一つの成果である。これまで老人は経験したことをさまざまに語る。それも一つの成果であり実りである。でもこれから投資するということは老い先短いのだからできないとなってしまうのである。

●投資先がなくなるとき資本主義は終る

いずれにしろ投資というとき株式だけではない常に人間には投資が必要なのである。その投資したものはまた必ずしも実りともならない。でもそもそも種を蒔かなければ投資しなければ何も得られないことは確かである。だから投資にはリスクが伴うのである。教育にしても投資なのである。それで子供の時そろばんを習ったがそれも投資だったが今や何の役にも立たない。そういうことは投資にはある。投資したものはすべて実りとなることをとはならないのである。そこに投資の難しさがある。いくら投資しても時代の変化で実りとなるとは限らない。でも意外なことが投資して実りになることもある。だから投資というのは別に株式だけではない不可欠なものとしてあった。

ただ株式となるとその投資でもいったい何に投資してそれが何をもたらすのかだ投資した金が増えるということしかない。グローバル化して経済が巨大化すればもはやそれを全部見通すことなど誰もできない。だから現代の投資は投機となり資本主義の限界が生じたとなる。投資するにしても何に投資したものが何なのかとかわからない。ただ金を投資して増えるということしかないから投機になる。 一種のギャンブルにもなる。でもクラウドファンディングとかなるとそれは何に投資するかはっきりしている。こういうものを作って作りますよとして金を集める。その金を早めに払った人は安くその品物を買えるのである。だから何に投資しているのか明確に見えるのである。だからそれは投機ではないのである。とても株式市場時になると巨大であり投機になってしまうのでは。

そして資本主義が終わるというとき投資先がなくなってしまったからだとなる。今世界的企業であるGAFAは何か必ずしもものを作り出しているわけでもない。でもbeingイメージクリエーターとか言葉を入れれば映像が作られる。それはコンピューターが画家になり芸術家になったということでもある。だからチャットgptでも今そこに投資されるという時それが新しい未来を作り出しているからである。

でもそれは今までのものを作り出すとかインフラを整備するとかとは違っている。でもそこが巨大な利益を生み出しているというのも現代なのである。そこは確かにただ遊びの空間ではない金を生み出しているのである。だから今一番儲けているのはGAFAでありそこに人は投資するのである。確かなことは人間社会に投資はなくなることはない。ただ投資先が必ず変わってくるのである.
だから意外なものは投資して大きな利益を生むということがある。ただそれが何なのか分からないということもある。だから投資には常にリスクはつきものなのである


posted by 天華 at 11:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題
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