2023年12月10日

海を見ていた工事に来た富山県の人と語る 【太平洋、日本海、瀬戸内海でもその相違は大きい】


海を見ていた工事に来た富山県の人と語る

【太平洋、日本海、瀬戸内海でもその相違は大きい】

●太平洋と日本海の相違

日本海には、暖流の対馬海流と冷たい海流のリマン海流が流れています1. 対馬海流は、黒潮の一部が対馬海峡から日本海に入り、日本列島の沿岸を北に向かって流れます。その一部は間宮海峡をこえて、さらに北に向かい、シベリア大陸の沿岸を流れます。ここで冷やされた海流が、やがてリマン海流として日本海を南に向かって流れます1.

日本海側にも対馬暖流が流れていますが、黒潮に比べると流量は約1/10、流速は約1/4しかありません。日本海が荒れるのは季節風の吹く冬の期間だけ。この穏やかな海を利用して開かれたのが、江戸時代終わりの「北前船」です

富山ナンバーのバイクがあり海を見ている人がいた。その人はすぐ近くの御刀神社の堀を治す人であり田んぼの区画整理でも仕事する人であった。それを毎朝海の方に向かって自転車で行くので見ていたのである。ただ富山ナンバーということは富山県でありちょっと珍しいと思って話しかけた。
その人は工事でも浪江とかなると倍の値段で請け負うという、つまりそれだけ依然として原発事故で避難区域になったとことは国から特別金がでているとなる。その額もまた大きいのである。

何か釣りのことを話して日本海の魚は小さいと言っていた。そうなのかと思った。日本海と太平洋の広さはあまりにも違っているからである。ただ日本海だと潮の流れが見えるという時やはり太平洋とは違って狭いから見えるのかと思った。ただ潮の流れというのは普通はわからないと思う。ただ与那国島まで船で行ったときそこから黒潮が流れているということを聞いたときここから太平洋のいわき市あたりまで流れてゆくのかと思った。

黒潮は南からの魚を運んでくる。でも親潮は北の魚を運んでくる。その潮目となるのはいわき市あたりなのである。親潮が運んでくるのは魚も大きく味がいいとなる。一般的に北の魚の方は大きくうまいことは確かである。南方の魚はそれほどうまいとは言えないからである。

その人はおそらく釣りをしている人なのだろう。だから魚のことから釣りのことを聞いた聞いてきたのである。釣りというのはなかなか自然に通じないと海の事でも魚の事でも知らないとできないのである。それは川の魚でも同じことなのである。だから釣りをしていた哲学者がいてそれを語る語り本を出している人もいる。それだけ釣りは自然と通じることでありそれで釣りに見せられると言うのも分かる。

●土地の人に聞くことが重要

ともかく海外行っても太平洋と日本海では相当に違っている。太平洋は日の太陽が昇るところであり日本海は太陽が沈む場所である。その違いは相当に大きい。いつも日が昇る太平洋を見ているのと陽が沈む日本海を見ているのでは感覚的に相当に違ってくる。まだ韓国から見ると日本海は東海となり日が昇るところなのである。その相違もまた大きいのである。つまり人間はそれぞれの住む場所で地理とか地形の影響必ず受けている。でもなかなかそれが分かりにくい。だから旅することが実感することであり重要なのである。そして何かちょっとしたことでも地元の人に聞くことが有効なのである。日本海の魚は小さいというときそうなのかなぜなのかとなる。それだけでも何かその土地のことを知ることになるのである。

それで失敗したのは私は旅をして地元の人もあまり話さないからその土地のことについてよくわからないままに去ってしまった事が公開される。その点柳田国男とかは土地の人と途中から話を聞くことがうまかった。それが学問の出発点となった。柳田国男は文献として残っているものよりその土地土地に伝えられたものを口碑として重要視して民俗学を起こしたからである。何でもやはり土地の人に話を聞いてそこから学問起こしたとなる。つまりその土地のことはちょっとしたことでもその土地の人から聞くことが重要なのである。必ずそこには土地の人しか分からないことがあり土地の人からその場に立って直接聞くことが重要なのである。ただそれは簡単にはできない。みんなそう何かを教えてくれるわけでもないからである。宮本常一もまた全国を回りそうして土地の人から直接話を聞いてその体験から民俗学を発展させた。

ともかく海でも瀬戸内海とか日本海とかありそれは太平洋とは相当に違った海なのである。潮の流れというとき瀬戸内海は確かに潮の流れがわかる。島々の間を確かに潮が流れている。だから何何水道というとき水の道だとなる。瀬戸内海で驚くのは大きな船が島々の間を航行していることである。だから大きな船が迫ってきた時驚いたのである。この辺では太平洋の沖にいつも二三艘の船が見えるだけだからである。大きな船がそれですぐ近くに迫って来て通って行った時驚いたのである。ただ大船渡市でも大きな船が出てゆくのを見たとき感動したのである。まさに大きな船が渡る市にふさわしとなる。つまりこの辺では大きな船を近くで見れないからそうなったのである

●海を知ることの難しさ

とにかく海を知るということは魚を知るということから海を知るということにもなる。今年は一匹の鮭も上って来なかった。それはこの辺だけではなく温暖化なのか海に異変があり鮭が昇って来なかったのである。北の方では昇って来たところがあっても南になると昇って来なかった。これも何かしら温暖化とかがあり海に異変が起きてそうなってしまったのである。ただ鮭はもともと北の魚でありだから海の温度が高くなればあその変化が受ける。それが原因になったということは推察できる。

ただ海のことを知ることは容易ではない。津波でもなぜこの辺で海老村は高い所にあったのに津波によって流されて消失してしまった。それは海の底と関係して津波が陸地の高いところでも関係なく押し寄せたためである。そのために崖のある高いところに津波の避難場所としてして指定していたのだがそのためにそこに逃げた30人が死んでしまったのである。だから津波のことは専門家でもわからなかったということである。別にそこに逃げなくてもすぐ近くに50mでも歩いて行けば安全地帯があったからでる。

いずれにしろその土地のことはその土地の人でないとちょっとしたことでもわからないのである。旅をすれば必ず道でもわからなくなる。その土地の人にとっては分かり切ったことでも旅する人には分からないのである。だから必ずちょっとしたことでも聞くことが土地の人に聞くことが大事になる。でもその土地の人でも道すら簡単には教えない。だから今はみんなスマホの地図を見ているのである。ただ確かなことはちょっとしたことでも土地の人から話を聞くときなるほどとわかることがある。でもそれは普通は簡単にはできない。だから私の場合は旅をしたとしてもそんなに土地の人と話しないから失敗したとなる。何か旅をするとすでにその土地の人に話を聞くというより風景でも変わっているからそれに見とれているだけになってしまうのである。

例えば相馬藩には飢饉の時1/3がいなくなり欠け地となった。そのために越中とかから富山県などから移民を募り土地を開墾させたのである。その子孫が三分の一もいる。このことは富山県とは歴史的に深い関係があるともなる。それは墓地を見れば一目瞭然なのである。なぜなら必ず南無阿弥陀仏と記された真宗の墓がありそれではっきりとその子孫がここに依然として多く生きているということがわかるからである。ただその人は工事に来ただけでありそういうことには関心がない。でもやはり富山県だということで関心をもったのである。何か別にその人が知識人でなくてもこならず土地の人はその土地について何かしら語ることがあるということである。それは必ず参考になるのである。
posted by 天華 at 13:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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