2024日本列島新年の譜
【東北から東海道から瀬戸内海か韓国までの旅】
日本列島四海めぐり
波打ちひびき轟きぬ
富士の嶺高く優美に
魚躍りて波しぶき船は出る
千代に八千代に敷島の
海に爛漫桜の映えて大和島
旭日東海に昇り眩しかも
海の幸山の幸恵みそめぐれ
日本列島太平洋に面して
新たに島の生まれて拡大しぬ
海の底より火を噴きて溶岩流れ
黒潮の与那国島より流れめぐる
トビウオの跳ね船は一路進まむ
神の業にそ成りぬ日本列島の栄
日本列島は若し連なり高き山々
その底に熱き溶岩の煮えたぎる
火を噴く山よその地球のエネルギーよ
地球はなお若し神の業なる命は躍動す
神は新たに領海に島を作り出す
その島さらに拡大しつづける
海に沿い桜は咲きつづく瀬戸内海
沖行く船のまじかに絶えず行く
玄界灘を渡りて韓の国古都慶州にも咲く
ここに東海を望み日本列島を望む
大河の岸辺、武寧王の煉瓦にアーチの陵墓
中国南朝の技、銀の匙に栄華の跡
若草映えて日本人の我たずぬ
島の王と呼ばれて日本との縁の深しも
済州島は溶岩の島、赤裸々に噴出して
島は形成され波は崖に打ち寄せひびく
漢拏山高く独立峰かなかなた中国を望む
韓半島も日本列島も望む
日本と韓国は古より縁の深く結ばれぬ
一衣帯水の国にして交わり深しも
今春風は海より吹きそよぎぬ
我が帰る瀬戸内海や航行する船あまた
明石の戸より大和島見ゆ
日本の栄、大阪城の万朶の桜映えぬ
花は尽きず散り花見の人も絶えざれ
夕陽赤々と輝き西の栄や秀吉の難波の夢の跡
みちのくより来りてその栄華を偲びぬ
常に栄は移り変わりゆく
群雄割拠の織り成す諸侯を治め
時を経て大江戸百都市の栄
家康治め豪壮な城そ映えなむ
その諸侯謁見の大広間雄渾な大松
大地に根付きその根の太くくねれる松
海に面して松原つづき富士山を望む
三百年の太平の世は成りぬ
そこに培うものや武士道の侍の誇り
その芯の強くも明治に伝えられぬ
庶民の文化も園芸俳句歌舞伎や華咲きぬ
日本の力よ、衰えざれその美は新たにそ
太鼓を打ち鳴らして天地にひびかむ
日本男児の心意気日本に生きる喜びよ
千代に八千代に継がれ悠久の大和の心
世界に誇るは武にあらじも
平和に成熟したる千年の文化の国
その美は荘重にして荘厳また微細なり
未来を担う熱き若者よ、新たな年に大志を抱け
未来は常に人の意志により変化し創られる
世界は固定したるものにあらじ
地も変わり海も変わり天も変わらむ
神の業は新天地を創り出す
その技の尽きることなく讃えるべしかな
神の祝福の日本列島に注がれむ
神の定めし地理の役割を果たすべしかな
西と東を結ぶ要の国は日本なり
その神の定めし地理を知りて世界の貢献あるべし
そこに神意あり天意あり地の利あり
未来のビジョンは自ずと成らむ
常に世界は定まらず刷新するが宿命
日本列島を潮はめぐり魚は躍り船は行く
新しき未来へ新しき展望を創造の世界に
日本の地理を見るとあすかから藤原京と奈良の平城宮から京都へとう移った。大阪は戦国時代から秀吉の城となり中心となった。地理的に見ると大阪は湾になっていてまた湿地帯になっていたから飛鳥の方が高台にありそこそこが中心になった。そこからさらに平地の藤原京になり次に奈良盆地の広いところが平城宮になったのである。それから京都は千年の都となった。京都もやはり盆地であり山に囲まれた場所である。
それから日本は戦国時代になると東の方の尾張で信長天下を取る。信長は海に面していて何かそこで港を通じて商売をしていたの見ていた。だから信長には商人的気質がありはぐくまれた。
やはり海に面していると特にそこに港があると海を通じて船が行き来するから外からの情報にも触れるし海の道となり商売しやすいのである
だから信長生まれた地域が地理が信長を作ったともなるなぜなら武田信玄は相当に優れた人であったが山に閉ざされて海の方に出てきたのだが途中で病気になり京都までは登れなかった。つまり山国であり海に面していないということは地理的に不利だったのである。それは会津にも言える。海から遠く山国で山に閉ざされて薩摩長州は海に面しているからその地理的条件の違いで遅れたとなる。
家康は浜松であり地理的に終わりにも近く海に面していたから地理的に有利だった。信長天下布武の筋道を作り秀吉がその後を継ぎ家康が最後のまとめ役となったのである。
そして江戸に幕府を築いたのである。だから地理というのは人間を作るということは確かである。まず地理を見ないと歴史もわからないのである
東海道が日本の幹線となるのは地理的に明確にわかる。千年の都の京都があり百万都市の江戸と結ばれたのである。それは日本の地理の結果だったともなる。その時伊達政宗も仙台とか石巻にも寺がありそこは政宗の住居ともなっていたのである。仙台とか石巻とかは海に向かって開けていて港になる適地だった。だからメキシコからヨーロッパまで船でゆくという遠大な計画が実行されたのである。それも地位的条件によってそうなった。
とにかく日本の中心は京都から大阪へそして江戸関東へと移ったのである。その東西を結ぶのは東海道だったのであり今でもやはり新幹線が行き来して東西を結ぶ日本の大動脈となっているのである。それもやはり地理が影響してそうなったのである
地理から見ればなぜ歴史でも古代から韓国が日本と不可分に結びついていたのかそれもやはり確かに海がさえぎるのだがが行き来があり韓国から日本へ渡来人がやってきたのである。
それで済州島の漢拏山を望んだ時確かにそこから中国から韓国から日本へと展望できる島だったのである。だから地理的に今の韓国と日本は一体化する。
武寧王の煉瓦造りのアーチの墓陵でも中国の南朝の文化が技術が入ってきて作られた。それは大河のほとりにあり大陸的な景色であった。だから地理的一体感を感じるのは今の韓国までだまでにあるということである。
そして私は青春18切符で東北から東京へ東海道大阪まで行きそれから瀬戸内海沿い行き福岡からか船で韓国まで韓国の釜山まで渡ったということがある。それは遠大な旅でもあった。それから韓国から九州に来てこれで東京まで帰ってきたこともあった。だから韓国はやはり一衣滞水の身近な国であったのだ。ただ中国までも船で行ったら上海になると結構遠くなったのである
だからなかなか中国と地理的一体感を感じるのはなかなかできない地理でも人間が感じる体感できるのはやはり限られているのである。
ともかく韓国の慶州までも桜は咲いていたのである。ただ東海道は夜行列車であり富士山とかは見えないし景色も見えなかったのである。青春18切符なら別に大して金もかからなかったのである。だから必ずしも金がないから旅はできないということでもないのである
東北から瀬戸内海福岡と海を渡って韓国まで行ったということは何か達成感があり記憶に残っているのである。やはり長い旅も必要なのである。でも一か月とかなると会社員とかでは無理になっていたのである。あ私の場合は時間がいくらでもありだからこそ長い旅ができたのある。それも結局家族に恵まれた結果としてそうなったのである。だから私は家族に特別感謝しているのである