秋の陸前浜街道の詩−失われた旅の回復
【歩く旅で原発事故からの町を見直す】
相馬六万石の城跡たずね
街道の松並木を通り
日立木の町場橋
木の葉散り薬師堂の古りぬ
鹿島御子神社の古く名の起こり
一石坂の上るも難儀
昔の人の苦労かな
力持ちの女の伝説残る
日吉神社の謂れ知れや
南朝の裔の只野氏の由来
社に古木や砦にもあらむ
落武者の末そ住むかな
塩崎に船着市庭の地名
古代はここは湊なり
入江の深く船の来ぬ
故に残れる地名かな
一里塚あり五本松今はなし
原町宿や繁華なれ
街道の松に寄り秋の日や
朝顔咲きて宿場町なれ
桜井古墳の海近く大なり
安曇族の末裔の開拓に入る
綿津見神社の多さかな
古墳に残る船の絵発見せり
小高は相馬氏に最初の城や
海も見えて浮舟城ともなれ
石段上り紅葉の映えて
その歴史をふりかえる
浪江町請戸の港栄えけり
宮古よりそ鉄の素材を運びける
葛尾村に製鉄に栄ゆ葛尾大臣の跡
鉄に結ばる道にあれ
双葉町夜の森とは余の森
相馬藩主の名づけて境成す
小良ヶ浜もまたおらの浜と
境にあれば謂れは残る
双葉町は新山と長塚村が起こりなり
交互に宿場となるは負担を分け合う
江戸への参勤交代は苦労なり
江戸の道のり遠しかな
新山に酒屋のありぬ
我が父の丁稚と働きし所
幽か虫鳴きその道歩み
通い帳の残りしあわれ
この世ははや移りけるかな
そも昔となりて語られぬ
しかし人の思いのここに残りぬ
故の悲しも廃れし町かな
原発事故に失いしもの
人は深くも思うべしかな
人は散りじりとなり人住まず
ここに住む人の思いを知るべし
浪江町請戸の港栄えけり
宮古よりそ鉄の素材を運びける
葛尾村に製鉄に栄ゆ葛尾大臣の跡
鉄に結ばる道にあれ
末続は渡来人の陶作りに由来や
新妻一族の村なりしを
ここよりトンネルぬけて
久ノ浜に出でて磐城は近ずきぬ
波立や岩の突き出て波打ちぬ
沖に船見え鴎飛び来る
太平洋の広々と旅路は続きぬ
陸前浜街道の秋の日暮れむ
街道の松によるかな旅人の歩き着きなむ秋深む宿
仙台の方から鹿島駅に降りて昔の陸前浜街道歩く人たちがいた。何か今歩くということはなくなった。歩く人を見かけないのである。行き交うのはクルマでありそこで人と人は出会うということは無いのである。車にとって歩く人とか自転車などは邪魔なものになる。
旅をするとき今なら目的地なるべく早く着くことが目的となり車で途中を省いて通り過ぎるだけだとなる。だから旅というのは現代から消失したのである。
例えば街道に松があり歩いてきたならその松の見方も違ってくるのである。歩いてようやく宿にに着いたなという時そこに松が立って待っているとなる。そいう感覚がどうしても車だとなくなる。そもそも相馬市かラ前の中村から原町まででも遠いから原町宿があったとなる。どうしても休まないと進めないからである。
だからその時旅する労力は今の十倍にもなり江戸ははるかかなたでありめったに行ける所ではなかった。
街道の宿場の松や秋深む
とかなる。松の見方が違ってくるのである。
ともかく歩いた時自然であれ人間は一体化する。一本の何でもない松でも見え方が違ってくる。現代はいろいろ便利になりすぎて失われたものがある。その一つが旅なのである、旅人というとき歩いて旅していたのが旅人であり車で行く人は旅人にならないのである。
何か原発事故で浜通りは荒廃してしっまたけど復興のためには陸前浜街道を見直して旅の道とする
それを感じたのは相馬市から福島へ行く東北中央道ができて前の道を車が通らなくなったときそれが不思議なのはサイクリングロードにもなりかえってその方面で活かせるのではないかと見た
だから途中に茶屋とか休憩所を作るのもいいと思った。
何かそいうことも今は便利になりすぎて見直される。ただホテルまでできるだけ早く着いてうまい物だけを食べることあ目的となる旅は旅ではないからである。
あえて不便さを演出する歩いて活かす道とする。ただそうなると相当に労力も時間もかかるから簡単にみんなはできない。でも高度成長時代のようなホテルで会社の人が集まり飲み食いする時代は終わったのである。そういう温泉街は廃墟化していて個人の旅行者でも歓迎すると変わったからである
歩くことは人間の五感を回復することである。歩くことは新鮮な経験ともなる。自転車でもそうである。だから浜道通リでも原発事故で荒廃した町を復興するものとして浜街道を活かす道を考える。すると道はつながっているのだから血液が流れるように街でも村でも活きてくるとなる
双葉町は私の父がっ酒屋の丁稚として働いた場所でありそこには思いが残る
何かその土地土地に生きた人の思いは残る、先祖の思いは残る、だから街自体が失われることはそうしたそこに生きた人達の思いも思いも失われることになりそこに幽霊が住むともなる、死んだ人も浮かばれないとなる
南相馬市鹿島区江垂の一石坂 (いちごくさか)の由来
仙台の長町から街道を徒歩でゆく老人の一団が来る
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