2024年12月24日

なぜ人間は互いに理解できなくなるのか 【空間軸と時間軸の相互関係―時間は取り戻せない】


なぜ人間は互いに理解できなくなるのか
【空間軸と時間軸の相互関係―時間は取り戻せない】

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空間軸ならA地点からB地点に行けるが、時間軸となると戻ることができなくなる、時間は取り戻せない!

●距離が離れすぎて理解できなくなる

人間はなぜ理解し合えなくなるのか,それを空間軸と時間軸で見る時これは別々のものではなく相互作用がある
距離が離れていればやはり時間軸でも交わる機会が少なくなる。すると互いに理解するのは難しくなる。どうしても空間軸で離れてしまうと時間軸でも交わる機会が少なくなる・
するとそこに誤解が生まれる、私の父親違いの兄が交通事故で死んだとき何が何だかわからなくなった。離婚したとか中学生の娘を児童施設にあずえてと施設から連絡がありわかった。

でもそないろいろなことが一気に押し寄せてきても遠すぎて理解できなくなっていた。もし近くに住んでいたら事情がわかるから対処方法があった。静岡でありそこに行くことも大変なことに成っていたからである。
つまり空間軸で離れすぎていたことと時間軸でも空白がブランクがありわからなくなっていた。そこでいろいろなことが起きていても理解できなかったのである。

●同じ空間にいても時間軸で交わらず理解できなくなった

ただ空間軸でも狭い地域に住んでいても理解し合うかとなるとそうもならない、その中学の同級生とは何十年も没交渉であり何をしているのかもわからなかった。
たまたま地域で作った野菜など売る店にいた。でもその店にはほとんど行かずスーパーで買い物していた。だから接することもなかった。相手にしても私が何をしているのかわからなくなっていた。
それで直接会た時あなたは何をしているのですかと言われて自分は黙っていた。これまでのことを答えることが長くなり簡単にできなかったからだ。

そしたらあなたとはここに来る必要はないと断られた。何をしているかわからないとして無用の人と見てそうなったのかもしれない、ただ田舎だと客を断ることがある
それは隣の街の自転車でも修理でも断られた。何かその店の評判は他の自転車屋で悪口が言う客がいてわかった。また医者でも日ごろ日常的に行かないと断られる、特に開業医はそいうことがある。
ただ断られても何かそれで問題になることはない。そもそもその店にはほとんどいていないしその同級生とは50年とかも没交渉だったからである。これだけの時間軸で没交渉だったらそもそも互いに理解することあ不可能である。ただ狭い地域だから共有するものはある。
それをプログに書いたとしてもスマホをしていないとしたら私のことも郷土のこともわからないのである。もう一人の同級生はスマをしていて多少わたしのことがわかって郷土のことについて話できたとなる
現代はスマホでも使わない人は情報的に孤立するともなる。それは田舎の狭い範囲でもそうである

●現代社会は複雑で意志疎通ができないことが多い

そもそも現代社会で意志疎通が難しくなったのはあまりにも無数の職業に分化したためである。近くで何をしているのかわからないというのもそうである。工場で特殊な仕事をしていると聞いてわからないのである。他でも車で遠くに仕事に行くが何をしているかわからないのである。特にこの辺は原発事故で避難区域から移住した人が多いからこれおまたわからなくなった原因である。

いずれにしろ空間軸であれ時間軸であれ人間は理解しあえなくなる。そもそもこれだけ複雑な人が交わる世界で人と人が理解することが基本的に難しくなっている。都会に住む人と田舎に住む人と理解することがむずかしくなる。
それは今だけではない江戸時代であれ職業が違うとその人理解できないから神秘的な存在となった。
お椀を作る木地師でもやはり神秘化されたし鉄作りする人もこれも神秘化された・それは今の原発で働いていた人達と共通している。そこで何をしているのか理解できなかったのである。そして大事故になり様々なことが言われるようになった。
このように昔から職業が違うとその人理解することが難しくなることはあった。ただ基本は大方は農民だから職業が同じであり現代のような無数の職業もないか理解しあえたとなる。

共通に体験することが多かったからである。だから俳句となると季語があるというとき農民の仕事と関係していてきごでも言葉も生まれたとなる。冬が増えるであり野菜を作るにかえっていいからそうなった。つまり農耕と結びついて生まれた言葉が多いのである。だからcutureがcultivate〔耕す〕からきている。
農民同士は理解し合うことがあった。同じ職業だったら理解しやすい、侍は侍同士結婚して大工は大工と結婚してとか理解することができた。つまり結婚するにしても理解しやすかったとなる
今なら外国人と結婚する人もいるし無数の違った職業の人と結婚するから夫を理解することもむずかしくなる。

●様々の専門に分化して理解しあえない

つまり現代はどんな優れた人でも社会を理解できない。様々な専門家がいてどんな人でもあらゆる職業に通じる人はいないのである。必ず視野狭窄になる。いくら専門家でもそうなのである。
それで福島原発の吉田所長が復水器のこと私は材料関係専門だからしらなかったと言っていた。つまり社長でも会社のことでも全部わからないのである。肝心なこともわからなかったのである。

人間はさらに今度は一千万住む東京のような大都会であれ今度は海底に住む人とか地底に住む人とか二分離して意思疎通がさらにできなくなるというのもわかる。それだけ一万の街に住んでいても狭い範囲でも意思疎通ができなくなっている。それだけ複雑な社会であり狭いとしても物は外国から入ってくるからグローバル化もしている。そこでさらに意思疎通がむずかしくなっている。
そもそも外国など簡単に理解できないからである。結果としてどうしてもそこに誤解が生まれ衝突して最悪戦争もになる。
それが近代の戦争でありその死者の数が何千万人にもなったのである。

●空間軸は戻せても時間は戻せない

空間軸だったら別に外国でも今なら行ける、でも外国でも時間軸で見ることは理解することは最高にむずかしいのである
歴史を理解することは難し、別にその場に立つことはできてもそれを時間軸でみることは簡単にできない。ここで2000年前1000年前何があったのかを知るのはむずかしい。日本だって難しいのである。
人間は今でも空間軸でA地点からB地点に行ける。でも時間軸で10年前でももどることはむずかしくなる。
人間は同じ土地に住んで空間軸で確かに共有するものがある
でも時間軸で供することは限られている、何か家族でも一緒に暮らしていなければ家族にならないのである。別に他人でも子供のころから一緒に暮らしていれば家族のようになる

でも子供の時でも一緒に暮らす時間がなかったら家族にならないのであるつまりそれだけ時間はたちまち過ぎる、時間が貴重だというとき時間は失いやすいからである
何か一緒に協働して働くとかそうした時間が貴重だった
なぜならそうして共同する時間が消失してその時間を戻せなくなる。もっとあの時一緒にするべきことがあったとしても時間が戻せないのである。
一緒にここで苦労して働いたなとか言うときそうした共同の時間を持ったということである。でもすぐに時間が過ぎてその時間は取り戻せなくなる。

だから中学で同級生だったとしても50年以上過ぎたらそれも没交渉だったら近くに住んでいても相手を理解することは不可能である。それで近くにいてももう逢うこともなくなった。もはや互いにに理解することが不可能なった
それは実の親子関係でも起きる、距離が離れて時間軸でも交わらなければ疎遠になり理解することがむずかしくなる
でも突然遠くから電話であれスマホであれ金を貸してくれと言われてもその事情がのみこめなくなる。近くであれば常時行き来していれば事情は分かるから理解しやすいのである。

必ず距離的にも空間でも離れすぎると理解するのが難しくなる
また親子でも兄弟でも10年没交渉とかなると理解できなくなる。
同じ場所に住んでいても没交渉だとやはり時間軸で理解できなくなる。そして時間軸の空白が60以上とかなると取り戻せないのである。何か協働したり助け合ったりする時間を持たないと同じ場所に近くに住んでいても理解しあえなくなる。

時間は取り戻せない、もう一回人生をやり直したい!

それができないかことが深刻なのである。つまり時間は無情に過ぎて行く、何をするにしろ無情に過ぎて行く。
それを自覚するのが50過ぎてからであり60過ぎて否応なく自覚されるのである。



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