2025年01月22日

北海道の旅と人生 【十分に生きない者は死ぬこともできない―人生は連続している】


北海道の旅と人生
【十分に生きない者は死ぬこともできない―人生は連続している】

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北海道を走る

タンポポが一面に咲き満ち
雲雀が声のかぎりにさえずっていた
そのさえずる声が激しくひびきわたる
大空に大地にひびきわたる
人は見えず誰はばかることなく
雲雀は思い切り一心にさえずる
その声のみがひびきわたった
自由なる旅人よ
そは広大なる北海道を旅する
かなたへかなたへ
そはひたすら進む
ああ 人よ悔いなく生きよ
汝は奴隷のごとく生きるなかれ
隷属してただ服従するなかれ
汝を自ら縛るなかれ
人に使われる汲汲たる人生
それは果たして良きものや
幾ばくかの金で使役される
それが実りをもたらすや
人の生は短く儚い
汝の人生に何を残すや
金を貯めてもその生を失う
自由の旅人よ!
広大な北海道の大地よ
その最果ての地に来たり
ハクサンチドリの咲きぬ
美しきかな旅人は遠く来たり見ゆ
汝の生を謳歌せよ!
自ら奴隷となりて生きるなかれ
ただ不満の言い嘆くなかれ
生きる日は短くたちまち過ぎる
労働はすべて良きものにあらじ
そが生と時間を奪われるなかれ
また夏の日郭公は鳴いた
その声は広大な北海道にひびきわたる
遠くへ遠くへ旅人は行く
汝は何を見たのか何を得たのか
汝は金にとらわれ金を求め生きたのか
その人生に何を得たのか
誰も汝をを認め称賛しない
汝は金のための奴隷なれや
雲雀が郭公がキセキレイが激しく鳴く
その広大な花咲き満ちる湿原に
利尻岳が厳しく聳え迫り
碧々と北の海は深く静まり
旅人はひたすら走る
錚々と草原を吹きわたる風よ
鴎は飛び波打ちつける海岸線よ
かなたへかなたへと続く
海は轟きひびき鳴る
北海道我が心の故郷よ
雄大に大らかに健やかなれ
汝の生を全うせよ
自由の大地よ、汝は生きぬ
郭公の声はひびき木霊する
汝は大いなる歌いつつ去るべし
壮大な地球を歌いつつ
天地にひびき木霊する歌よ
天にも昇り歌いつつ去るべし
そして神に目見えるべし


生きることとは何なのか、何か老後のために金を貯えるとかいろいろ心配するけど、その前に本当に生きることである
生きなけらばあなたおの生を全うしなければ逆に安らかな老後も死もないのである。
老人になって後悔する時金を貯めなかったということがあっても本当に生きなかったということただ金のために働き使役されたことが後で後悔になる。私は自由が与えられていたが金はなかった
でも別に金が無くても旅はできた。自転車でテントを張り寝たそしたらホテル代はかからなかった。問題は自由な時間が必要だった。時間は十分に与えられていたのである。会社員になると自由な時間が得られないのである。

だからいくら金があっても時間がない、それで自由な旅はできない、また老後に退職して旅をするというとき体力がなく自転車で旅ができなくなる。つまり人間はすべて金だけで何でもできるわけではない、不平等を嘆くにしても時間はみんな平等に与えられている。金持ちでも貧乏人でも時間は平等に与えられて差別はないのである。問題は限られた時間をどう利用するかなのである

別に金があれば楽な旅はできる、でもその旅は印象に記憶に残るとは限らない、だから貧乏人でも旅はできる。海外旅行でも円高の時はフリターとか貧乏な若者が世界を回っていたのである
それは恵まれた時代だった。それが円安でできなくなるからその時旅しない人は大損だったとなる。私は辛うじて50歳以後バックパッカーになり外国を旅した、それはやはり時間があったからである。でも60才以降親の介護になったからその機会を逃すとできなくなっていたのである。つまりチャンスを逃がすと金あるなしでなく何でもできなくなる、そして60歳くらいになると病気になりやすく過酷な登山でも旅ができなくなる。
だから金が無いから何もできないということでもない、体力ある内に行いとなる。
北海道は十回くらい行っている。だから第二の故郷ともなる

ともかく老後の心配してもしょうがない、まず若いうちにやれることやれば後悔しない、それがあなたの血肉となる。
それでこそ安らかに死ねる成仏するとなる。そうして私は生きたのだということがないことが後悔になる、なぜならそうして生きるチャンスが失われて二度と戻ってこないからである。
そして嫌々ながら社畜だとしていくばくかの金をもらい自らを奴隷にする、それが老人になって後悔する。もちろん旅がすべての人にとって人生とはならない、その人なりの人生を生きたかということである。そうして生きなかった人は不満であり老人になってただ今度は死にたくないとなりただだらだらと延命するだけの老人なる。

つまり老人の問題は若い時から始まり継続した問題なのである。だから老人になって後悔しても時すでに遅しとなっている。老人の問題は老人になったから起きるのではない、若い時から始まっているのである、その生を全うすれば後悔することはないのである。

多数の者は他人の意志によって動かっされるだけである

時に適って生きなかった者がどうして時に適って死ぬことができよう

我々はもうあまりに疲れて死ぬことさえできない、それで我々は目覚めたままで生き続ける―墓穴のなかで
ニーチェー『ツァラトゥストラ』

人間は死を恐れる、なぜ恐れるのか、人間は十分に生きていないから恐れる。それぞれの生を全うしないからまた死ねないとなる
疲れて死ぬこともできないとなる。生と死は表裏一体であり十分にその生を全うした者は安らかに死ねるとなる
老人の問題はいろいろある、でもその生を十分に生きることこそ安らかな生があり成仏するとなる。
つまり十分にそれそれぞれの生を生きなかった者は死ぬにも死ねないとなる。人生とは一連のものとして継続していて突如老人になるわけではない。子供から青年壮年老人と継続したものであり
切り離すことができないのである

だから老人を語る時実際はその人の全人生が問題になる、どう生きたかが問題になる。死も生と関連してある。切り離せないのである。十分にその人なりに生きた人は後悔なく死ねるとなる
それは熟した果物ののようになり終わるともなる。
〔若い内神を知れ〕というときそれは老人まで影響する。神が存在する神に認められるということで安心がありそれは老人になっても継続して影響する、ともかく老人の問題は全体の人生と切り離してありえないのである。だからこそ十分にその人なりに生きない人は死ぬこともできないとなる。時期に適って死ねないとなる

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posted by 天華 at 17:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 北海道(俳句-短歌-詩)
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