2025年02月04日

多様性の基本はそれぞれの風土地理が基本 【山村とか限界集落となり喪失すると多様性がなくなるー玉野村や浪江町の津島のこと】


多様性の基本はそれぞれの風土地理が基本
【山村とか限界集落となり喪失すると多様性がなくなるー玉野村や浪江町の津島のこと】

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●文化〔culture〕の意味

それぞれの土地の個性は特色はどうして作られのか
その基本になるのは地形と地勢とか地理である。
だからこそcultivate〔耕す〕がcultuerになった。つまり人間は住む場所によってこそ一番影響を受ける。風土地理の影響が大きい、それはまた生まれつきとか遺伝があるにしてもその生まれた家とか家族とかに環境因子に左右されることが多いのである
遺伝も致命的だが環境も致命的である。

双子に生まれても別々の国で育てば言葉も違い全然違ったひとになることでもわかる。また健康というのも遺伝的なものが基礎にあるとしても生活習慣が大事になる、やはり習慣的に運動していないと体全体を健康に保てないのである

筋肉は常に鍛えていないと劣化して全体に影響する、また運動していないと血流も悪くなり体でも脳にも影響する
だから生活習慣が積もり積もって老人なり症状となって現れる
だからかいかにに人間は日ごろの生活が大事かわかる
何でも日々の生活が脳でも体でも影響する、それが老人になり結果として現れる

また人間は風土の影響が大きい、だからこそ風土が文化を作るとなる。風とは天候とかであり土はまさにその土地土地の地勢とか地理とかである。例えば福島県はハマ,ナカ、アイズに分かれている、海側に面している浜通リだと会津とか山に囲まれた地域とは相当に違ったものになる。いつも海を見ているものと海から太陽が昇るの見ているのと山から太陽が昇り沈む場所に住んでいる人の感覚は基本的に違ったものになる
だから場所を変えると気持ちも変わる。それで人は遠くに旅したいとなるのは場所を変えることにより心まで変わる体験する

●隠されてあった玉野村の魅力

それで相馬市の玉野村はかなりの坂を上るから遠く感じた
玉野村の本体は伊達と相馬の境の集落から脇道のトンネルをくぐった所にあった。そこに私が行かなかったのは不便になっていたからだろう。何かそれで失敗した
玉野村の本体はそのトンネルをくぐった所にあった
それはなぜかとなれば平らな土地が拓けてあった。つまり平らな土地があれば田んぼでも畑でもつくり何とか暮らせるとなる
山間だから日本では平な場所が少ないからだ
それで木戸木の人が土地を平らにするのに苦労したと言っていた
平という地名はそこから生まれた。

ともかくトンネルを抜けてかなり広い平らな地が拓けていることに玉野村が形成された。ただ霊山とかあの辺りは石戸村であも坂であり本当に平な土地がない山間の不便な斜面があり家がある
だから野というとき日本では斜面のことだった。そうした斜面に人は畑を作りまた県〔あがた〕を作りそこが県の由来だったのである
ただ県というときそこは今でも中央から認定されて税を納めるのであげるが県になった。行政区域としてあったともなる

●県〔あがた〕の歴史的意味


県 (あがた)

古墳時代に、畿内[きない]の朝廷[ちょうてい]は国造[くにのみやつこ]に地方を支配させていましたが、それとは別に、朝廷が直接支配していた土地のことです。県の責任者が県主[あがたぬし]です。朝廷に食料や物資を納めていました。

山の森は水をたくわえ水を供給するからこそ神聖な山となり祖先の山となり信仰にまでなった。
最初からなぜ日本の中心でなく大和盆地の飛鳥が先になったのかというと飛鳥から水田を造り始めたからだ。大阪は難波江であり八十島であり大きな入江であり葦原の入江であり水田に適していなかったのだ。まずなんらかの生産力がないと貯えがないと国は興らない、飛鳥で水田を米を作り始めて国力がついてきて飛鳥から藤原宮-平城宮-平安宮と発展した。

「県〔あがた〕」は、大和にあった大王〔おおきみ〕家の直轄地である「大和六県〔やまとのむつのあがた〕」(=「曾布〔そふ〕県・山辺〔やまのべ〕県・磯城〔しき〕県・十市〔とおち〕県・高市〔たけち〕県・葛城〔かずらき〕県」)の他、「河内県」「吉備県」「筑紫県」など、西日本に多く見られ、朝廷の直轄的性格が強いようです。

岩手なるあがたの民の憩場(いこひば)の森となれかしけふ植えし苗  昭和天皇

昭和天皇は歌がうまかかった。その伝統も平成天皇令和天皇になると失われたとなる、何か原始的心性がとても東京のような所では養いないとなる


県が多いのは奈良になる。全国的には国造〔くにのみやっこ〕であるがその前に県〔県〕が行政の単位としてあった。
田というのは水の供給が必要であり山だとそれができるから棚田は確かに不便だが水を得るということで県〔あがた〕となった
平地に田を作るのは溜池とか必要であり水を供給するために水路も必要となり土木事業が必要になる。それはそうした技術がないとできないあから最初は山の斜面の県〔あがた〕で田を作っていたのである

●まほらばとは

うつせみの吾が居たりけり雪つもるあがたのまほら冬のはての日 斎藤茂吉

この歌も不思議である。斎藤茂吉には原始的心性があったとなる
つまりまほらというときまさにトンネルをぬけて玉野村の本体があった地域だとなる

ま‐ほ‐ら (マホ(真秀)に、漠然と場所を示す意の接尾語ラの付いたもの)すぐれたよい所・国。
まほらま。まほらば。まほろば。万葉集[5]「きこしをす国の―ぞ」
・・・と「広辞苑」に有ります。

これもあるが何かーまー洞〔ほら〕にも通じる、それは玉野村の本体にトンネルをぬけたときそこが洞に感じたからである
まほらばとは洞が関係しているともなる。一種の隠された桃源郷でもある

ともかく土地の魅力は地理い風土にある。だから私は飯館から浪江の津島に行った時そこが秘境に思えた、長泥でもそうである
私はかえってそういう場所に魅力を感じる。

白藤の垂れて長しも谷間にそ薄雲に月津島に着きぬ

こんな感じになる。それも原発事故で廃墟の村になった。ただ全国でこうした限界集落が増える。それは何を意味するのか人間の多様性が失われることである。

つまりどこでも都市化して人口が集中する、そして辺鄙な村は喪失する。それは多様性が喪失することになる
すると何か欠けたものになる。ただ正直そういう場所は住まないで時々訪れるのにはいいが住むとなると現代では不便すぎるのである、それでも津島にも診療所があった。あれは貴重だった。なぜなら病院に浪江まででも行くのが遠すぎるからである
ともかく私は東京とかに魅力を感じないのである。そこで自転車に乗ってまわることもできないし意外と見るべきものもないのである


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posted by 天華 at 22:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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