春に偲ぶ江戸【隅田川の春−浜離宮ー海を望む城】
春に偲ぶ江戸
春の日に隅田川に百羽の鴎
永代橋、両国橋、吾妻橋,言問橋
その名の良しや謂れあり
浜離宮の池に春の潮を入りきぬ
松のゆかしく客を接待
ここより船は外海に望む
かなた流人の八丈島のあれ
波はその断崖に打ち付け閉ざす
江戸八百八町水路は縦横に
舟は入り来舟はめぐりぬ
海の潮も上り来て屋敷の池に知る
舟はゆっくりと進む
寺の鐘は重くなり
待つ人も急がず
ゆっくりと船は進む
船宿に柳しだれてあわれ三味線のひびく
芸者が小橋をわたり艶に歩む
蔵前に各地より米は運ばる栄
仙台堀は伊達藩の屋敷のある所
江戸前の活魚を天秤棒で運ぶ
その威勢の良さや江戸っ子の一心太助
江戸城は高くも聳え富士をかなたに仰ぐ
登城する侍は威を正し大君にまみえる
日本橋の未明大名行列は出立す
江戸の夜明けや身の引き締まる
江戸城の堀には別に海の水は入ってくる構造になっていないがそれでも桜田堤までは若干海の水が入ってくる。赤坂の溜池も。使用の満ち干によって水量が変わる池であった。江戸の両国に作られた旗本の屋敷で、満潮になると庭に作られた池には海の水が入ってくるという仕組みになっていた。屋敷内にいて、海の潮の満ち干が味わえた。
海岸線の歴史。松本健一
確かに海岸に城がある。何か江戸城となると海から遠い感じがする。現代ではビルと家が密集してとても海を意識できない
東京で何か見るべきものがない、でも江戸の町は水路がめぐらされていて海の潮が入って来たのかとなる
そういう風景をイメージできない、ただ高層ビルを見上げて車と群衆を見るだかけなのかとなる
ただ東京で魅力を感じたのは隅田川である。それは明らかに海と通じていて浜離宮には春の潮が池に入ってくるのである
だからあそこでは自然を感じるからいいのである。でも今そうして昔の江戸を感じる場所がないのである
江戸城跡に皇居がある時、やはりそれは明治維新で作られたものなので歴史を感じないのである
だから天皇は京都に住むべきだというのが正論だともなる。
優艶に枝垂桜の池映る京都の御所の近くなるかな
江戸城跡には江戸城を再建すればいいという人もいる。そうすれば歴史を偲べるとなる。東京で残念なのは歴史を偲べないことだからである。大阪なら大阪城跡があるだけでも偲べる。でも江戸城の跡があっても何か大阪城のように偲べない
やはり何か歴史はその当時のものが残らないと偲べないのである
日本の城は海側に作られてその城が海より見えて目印となりまた海の海水が入って舟も入れるようになった港の機能があった
それは瀬戸内海と四国の城はそうである。東海道でも吉田城は川があり橋がかかり城がある。それは浮世絵に描かれている
私はその橋の欄干にもたれると確かに海から風が吹いてきたのである。海がかなり近い場にあった
春の風海より吹くや吉田城
ただ実際に吉田城には電車で来たのでありそれで中に枝垂桜が咲いていた。だから感覚的に海を望む城と感じなかった
何か旅はアプローチちの仕方で違ってくる。だから江戸でも隅田川へ舟で入り水路を行ったら感覚的に海と通じているとなる
海側に城があったというときこの辺でも相馬藩の最初の城は小高にありそれが浮舟城となっていた
船が浮く城というときそれは城の前に海が迫っていたことなのである。そして今の小高駅の下をくぐって津波の海水があふれた
駅の海側は津波で海になり湾となった。つまりそこは船が出入りする港だったのである。それで蔵院とかもありかなりの船が出入りしていた。それは中世のことである。だから日本の城が海岸にあるというのもわかる
隅田川も大江戸線が地下から出てきて橋を走るのには驚いた。地下鉄線が今はめぐっているとなる
そこには何か水路をめぐらされて江戸とは余りにも違っていたのである
落語の中の言葉167「船宿」