2025年04月01日

モータリゼーションに適合した商売が生き残った 【鉄道は東京の山の手沿線くらいしか機能していない】


モータリゼーションに適合した商売が生き残った
【鉄道は東京の山の手沿線くらいしか機能していない】


【地方創生が失敗する最大の理由】東京の鉄道資本主義/駅前が中心ではない/
モータリゼーションは90年代から/無料の駐車場/日産低迷


このyoutubeが興味深かった。鉄道の駅前は廃れたのはモータリゼーションのためだった。
駅前の活性化は鉄道に頼ってもできない、駐車場を作り車中心にしないと活性化できない
駅前の活性化とか言う時何か鉄道中心に考える、鉄道をもっと利用しろとかなる
でも鉄道が機能しているのは東京の山手線くらいだとしている。それで東京では東京では地方より車の所有者が少ない。車をもっていないのである。車がなくても生活できるのである。

つまり、駅前を活性化するとなればもっと鉄道に乗れとなるが現実にはそれはできない。
商売で成功したい会社はみんなモータリゼーションに適合した会社であった。大型店はイオンをはじめとしてみんな郊外に大きな駐車場を持ってそれで繁栄したツルハ薬局とかヤマダ電機とか大型電器店でもそうである。
そのために駅前通リは廃れた。それはモータリゼーションの結果であった
だから駅前の活性化は鉄道に頼るより大きな駐車場を作るべきだというのである
鉄道にこだわっていては活性化できないという。それも確かにそうである

鉄道は一本の線でありそれでは用がたせない、縦横に走れない、だから買い物でも鹿島から原町間まで行くのでも電車だと不便なのである。便数も少ないし駅に降りてもそこから用を足すのはめんどうになる。
だから私は自転車で原町に行き買い物する。他の人は車で買い物することに鹿島だと用が足せないとなる
駅前通りが廃れたのは街の通りでも廃れたのはモータリゼーションの結果である。

相馬市は駅前通りは城下町なので作られなかった。でも商店は駅から離れた地区に集まった、駅前通りには集まらなかったのである。その中には広い駐車場を作ったからである。つまり駅前通りで用を足す人はまれになる。
必ず大きな駐車場がないとそこに人が集まらないのである。仙台市ですら駅前のデパートとかが廃れて郊外のショッピングモールとかに車で行くことになる。それだけ車社会でありそれに適合しない商売は成り立たなくなったのである

もはや駅を中心とした街作りはできない。駅ですら大きな駐車場が必要だとなる。つまり車中心に発想することになる
そうしなければ商売が成り立たない社会である。だから別に商売でも駅前通りとか街の通りとかを中心に発想する必要はない
郊外でもいいし辺鄙な場所でもいいとなる。なぜなら車で行けばいいとなるからである、それで必要になるのが駐車場になる。
なぜ磐城太田駅前の総菜屋は客が並んでいるのか?それは離れた場所であり駅前とも全く関係ないのである

その店で売るものがいいから車で遠くから買いに来るのである。また東北中央道で前の店は廃れたがソフトクリーム屋は有名で依然として繁盛している、つまり交通の変化の影響を受けなかったのである。そのソフトクリームを食べたいとなり必ず寄るからである。つまり今の商売は場所に影響されない、これまでは商売は場所に立地に影響されていた、だから駅前とか有利だったのである。でも車社会になると場所の影響がない、車で遠くでも行くからである

ただ常磐高速道路ができて鹿島のSAは賑わう、レストランもあり賑わう、それはSAがあとはいわき市の方に行かないからここで用を足す人が多いからである。でもここは全く街とは関係ないのである。繁盛する場所はSA内だけであり街に波及しない
駅前通りができたのとは違っている。でもモータリゼーション化すると車に適合した社会となった。
車社会を批判しても現実は車社会に適合しないと生きていけなくなったのである。

そもそも車を持たない運転できない人は劣った人にもなる。江戸時代なら馬を持っている人が侍であり馬を持たない人は足軽となり御徒町(おかち)となると馬を持たない歩く人たちが住む場所だったとなる。つまりその身分制は馬を持つ人と持たない人の差でそうなった
だから今は車を持たない人は劣等な人達だとなる。何か自転車だとニートとか障害者とかまた今やトラックの運転手でも怪我したとか老人になり自転車に乗っている。だから確かに車が運転できない人は劣等者になる

だからどこでも駅前通りとかは寂れている。致命的なのは大きな駐車場をもてないことである。だから車社会では不便になり
駅前通りは廃れたとなる。だからいくら鉄道を利用しろと言っても無理である。それは例えば仙台市まで遠くに行く時便利かもしれない、それでも仙台市に行く時車で行っているのである。仙台市の郊外のショッピングモールがあるとしても車でないと行きにくいからである。どうしても鉄道で行けば駅前が中心になり用をたすとなる
とにかくこのyoutubeはわかり安く説明していた、本で読むとなると何か簡単に理解できないことがある
youtubeだと要点がつかみやすいのである。モータリゼーションのことは常に言われてきたことだがそれを明確化して説明した。

とにかく時代に遅れると適合しないとかは技術の進歩と関係している。技術の進歩で大きく社会が変わる。
インターネットでも社会がこれほど変わるということにも驚いた。70以上の人はスマホでもしていないから
現代の情報社会から取り残されることはある。それは車を否定しても車社会になったらそれに適合しな人は劣った人にされてしまうのである。それが結構怖いことなのである。

例えば石器時代の人が鉄の時代になった時依然として石器を使っているとなるその差が大きいのである
今は情報化社会でありこれに適合しないと取り残されるともなる。70才以上が不利なのはIT社会に適合できない
スマホすらできないとなる。それで情報弱者になる。社会から取り残されるともなる
こういうことは常にあり老人はこれまで経験したことで有利でも新しい社会に適合できなくなる
それで時代から取り残されるとなる。そうなるとますます老人は役に立たないとか無駄だとされる
ただ老人は社会の変化についていけない、そういうことが常にあり不利なのである

何か街の活性化というとき通りとかを考えるが車社会に適合しないと活性化しないのが現実である。歩かない社会になっているからである。それで南相馬市でもか鹿島区でも真野川沿いに通りを作ってもほとんど人が通らないのである
またどこの街の通りでも人が歩くのを見るのがまれなのである。これまでの街は歩く人を対象に作られていた
その肝心の歩く人がいないのだから活性化しないとなる。ただ大きな駐車所がありそこに車を止めて街の通りを歩くということはある。でもどうしても郊外の大型店で用を足すとなる。ただ老人が増えると車が乗れなくなると買い物でも不便になる
だから高齢化社会でかえって車社会は不便なものとなる。それで何らかの変化がまた生まれるかもしれない。






posted by 天華 at 20:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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