2025年04月14日

日本は農業に向いていない?ー山が多くて平地が少な


日本は農業に向いていない?ー山が多くて平地が少ないから大規模化できない
【人間は自然の風土地理を無視して生きられない】


文明は基本的に地理とか風土とかにより作られる。日本は海と山の国である。平地が少ない、だから海彦山彦の神話になる。そこに平地で暮らす人々がいないのである。平地の民が大陸では普通である。山により遮るものなく大きな川がさえぎるものとなりそこが境界となる。それで日本は実は農業に向いていないと最近大規模農業を始めた若い社長が言っていた
山間部は平地がないから大規模化できない、未だにそうしたところの農業は零細な農家が多くそれで農業では今は苦しいとなる

大規模農業法人が実現するとすれば、地域には少ない人しか住まないことになる。例えば、人口1700人の北竜町で考えてみれば、1700haの水田を1法人が300ha経営するとすれば6法人で可能だ。各法人が数人、たとえば、5人の正規従業員を雇っても、全員で30人に過ぎない。つまり、生産性、コストを追求するとなれば、結局のところ、少数の人間しか住まない地域となる。

日本で大規模農業は可能なのか?

中山間地が多い日本では共同で農村を維持してきたが、企業的農業だけでは農村は守れない。また企業が参入しても採算が取れず出て行けば農村が消滅してしまう。一方で小農は自然を有効に活用し、食料自給率の向上や食の安全を保障し、農村を守る

何かテレビでは農業の会社経営者が法人化して収入を上げて若い人が働いていることを報道した。つまり大規模化して機械化してスマート農法で生産性をあげ効率化する。それは山村部ではできないとしている。平地ではないからである
中国でも麦を収穫するのにコンバインで一気に刈り取りできたが山間部が平坦でないのでできないんでやはり出稼ぎの人が人力でしていた。そこには中国でも機械によらないで人間がするほかないほかないのである
それで平坦な地でも機械で田植えできない所が残りそれは人力でしていると聞いた
何事すべて機械化できない、必ず人間の手が必要になる。それはAI化でも同じである。全部答えを出してくれわけではないのである。そこに幻想を抱じすぎると問題になる

人間はそもそも風土の影響とか地理地形の影響から逃れられない、これはいくら科学技術が発達してもできないということが農業は特に風土とと天候とか地形とか自然条件により規定される度合いが強いからそうなる
工業製品を作るようなわけにはいかないからである。自然を相手にしているからそうなる。農業は文化の基だからである
cultureはcultivate(耕す)から来ているからである。それでワインでもその土地の風土により味が違って名前でもその土地の名前で売り出している。まさに文化なのである。農業は工業製品のように規格化できないのである。また機械化にも限度がある制限される。その土地にあった適正を追求してあったからである。


それで大規模農業で成功した例をあげていたがそれもうまくかないとネットで読んだがそうなのかと納得がいく
ではどうすればいいのかとなると私には深く追求していないのでわからない。でも農業は自然と密接に結びついているからなかなか機械化できないことは理解できる。
そもそも気候であれ地形であれ地理であれ変えられない宿命的なものである。山を平らにできない、だから自然条件に制約されるのである。それで野というとき平なところではなく山の斜面を指している。山が多いのだからそういう地形が日本には多い
入野という地形がそうである。その野とは山の斜面のことなのである。そこに棚田があり段々畑があったりする
それは地形に適応してそうなったのである。

ともかく日本は平地が少ない、だから農業するのにも向いていないというのもわかる。飯館村の木戸木(ことぎ)で畑を作るのに土地を平らにすることで苦労したというのもそうである。奈良はならすからきているとか平坦にするということで苦労する
奈良とは実際は今の平坦な広い地ではなく山間部の斜面の野が起源なのだろう。田にしても県(あがた)から始まりそこが最初の
国の行政に組み入れられたからである。

何か農業は大規模化すればいいとか素人から見ればそうなのかとみるがやはり人間は定められた自然の条件に適合しないでは生きられない、それで行き詰まるのもわかる。海彦山彦の国だったという時縄文時代から日本で暮らすとなると自然を変えることもできないからそうなる。自然災害でもなぜ津波の被害が甚大になったのか、それは海側が魚をとるのに便利だからである
相馬市の磯部では被害が一番大きかった。村は壊滅して誰も住んでいない、なぜそうなったのか、磯部村の家が密集している海岸に集落が作られた。その後ろは田である。つまり田を作る平地には家はまれである。

もともと海であり海を埋め立てて田にした。そして津波で元の海になったのには驚いたのである。海を田にすること埋め立てすることは自然に逆らうことなのである
だから縄文時代にそうして海だったところには人は住んでいない、縄文時代の遺跡は発見されないのである。
要するに人間はいくら科学技術が進歩しても自然に逆らっては生きていけないのである。それは傲慢なことであり自然から復讐されるとなる。山に平地にできないしその自然条件を変えることはできないのである
科学技術にも限界がありそれを過信することは危険になる。

また別に米でもアメリカから輸入すればいいではないかとなるがそれにも限度がある。食料は安全保障でもあり外国から輸入できなかったらどうなるのか、外国に経済でも頼りすぎることは問題なのである。食料がなければ今度は外国に言いなりになる
独立も失われるである、だから中国では一年以上の食料を備蓄している。日本では一か月しかしていないというのも問題である。だから安い米を安易にアメリカからでも輸入するのは危険である。グローバル経済が何でもいいわけではない、その土地に見合ったものとして生活するように神が定めた。それを無視できないのである。日本は車だけ作っていればいいとなれば結局外国に食料を頼れば支配されることになる独立は失われるのである。

また過度なグローバル経済は文化も破壊する、その土地土地に見合ったものとして作られてきたものを破壊する
そもそも工業製品のように一様化できないからである。農業は特にそうであり過度なグローバル経済は文化を破壊する
それは人間の生活を豊かにするわけでもないのである、なぜなら人間は必ずしも物質だけなものだけに生きるのではなく精神的なものも求めているからである。だからグローバル経済が今うまく機能しなくなったのは人間の精神的な面も影響している
貿易は必要でも土地土地の国々の文化まで破壊するときもはや人間の生きる意義まで失われるとなるからである

posted by 天華 at 09:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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