空家の庭に咲き続ける牡丹【短編小説と随筆】
空家になった庭に今年も赤いツツジが咲き牡丹が六七輪咲いた、その家には塀がなく道の側の家だからその花はいつでも見られる
その家には実は誰かか持ち主がいてそれを買った人がいた。それで子供を連れて若い母親が来たことがあった
でもその家族は住むことがないのも不思議だと隣に住む達雄は思っていた
「なぜ住まないのだろう」
「なんか事情があるのだろう」
「仕事か、それとも学校の転校などの問題か」
「わからないけどそんなことだろう」
ただ不思議なのは空家化している庭でも花は毎年咲く、それはなぜなのか、つまり野菜でもそうだが花でも一旦土地に根付けば
毎年土から栄養をとって咲きつづけるからである
隣の家の達雄はその牡丹を見て思った
「そういえば私の庭でも牡丹が咲き続けている、それも長いんだよ、三〇年前なのか本当に長く咲いている
四五輪は毎年咲くから不思議なんだ、肥料もやらないのに咲くんだよ」
花は毎年咲き続ける不思議がある、ただ肥料をやらないと咲かないこともある、でもなぜ肥料もやらないのに咲き続くのか
その土地にあって咲き続ける。風通しとか乾燥しているところでその牡丹は合っていて咲き続ける
それは野菜でも同じである。その土地に合っていれば野菜でもその土地独特のものが作られ特産物となったりする
こうして農業はその土地から作物を取り続けられて生活が代々成り立つ、でも今の時代様々な職業があってもそれが継続されることは時代の変化でむずかしい。農家が代々続くのは土地をもっていてそれで続くのである
農民が土着するというときまさに土に着くであり土に依存して生きることである。
つまり土がある限り野菜でも米でも取り続けることができるということである
花でも土があればそこから栄養をとるから咲き続ける。
だから空家になっても花は土地い土着しているから咲き続ける
そこの近くでも空家が壊されても庭に花が咲き庭にあった木は今でも生き続けている、何十年も生き続けている
それで達雄は嘆息する
「空家ふえて困る、この周りでも子供はいない遊ぶ声もしない、何か見かけるのは杖をついた老人であり、空家が放置されている、地震で屋根が壊れても直す者もいないな」
いつもその空家を見ている達雄は思う、そこは金持ちの医院があったのである。でももう一軒の開業医もなくなった
そこも毎日通るから気になる、そこは相当に広いのである。実はその隣も家があったが壊されて空地化したのである
なぜなら東京に住んでいた息子も死んで田舎に家も放置されたからだ
日本では四軒に一軒が空家化する、これは何か恐ろし数字である、村が維持できなくなり町も市も縮小する
そしてまた独り言を言う
「人間はみんな死んで消えてゆくのだな、近くの医者は腕がいいが口が悪いと評判だったな、母はその医者を嫌って
優しい医者に行っていた、でもその医院も更地になったな、こんなに変化するのは驚くよ、母は腰が九〇度に曲がっても手押し車を押して結構動いたな」
達雄の母親は百歳生きた。辛抱強く大正生まれだった。
「そうだな、土の命は長いけど人の命は短い」
「花の命は短いというけど毎年咲くから長いよ」
「土着するから長いんだよな」
庭に咲き続ける牡丹よ
我が家もかく栄えなむ
空家になりしも
花は土に根ざし咲きつづける
人の命より土地の命は長い
その土の力により花は咲きつづける
今年は別な牡丹がその家の狭い庭に咲いた、紫の濃い色の牡丹である。二輪咲いた。名前は麟鳳という名である
麟鳳亀竜からとっている。世の中が平和に治まっているときに現われるとされる、麒麟、鳳凰、亀、竜の四種類の伝説の霊獣とある。これらの動物は縁起ものである。確かに戦後は平和な時代を生きたからいい時代だったとなる。今になると日本は貧乏国家になり衰退国家になりそれが失われた。
その牡丹は二年なのか三年なのか葉っぱしか出なかったのである。その家の主人はその牡丹を見て言った
「すでに白い牡丹は散ったがまた新しい牡丹が庭に咲いた、赤紫の牡丹が映えて我が家は栄えたな、まだ私はここに生きる、ただ年も年だからどうなるか、でも私の母は百歳生きたからな、私は何歳まで生きるのかな」
そう達雄はまた独り言を言う、確かに達雄の母はやせていたけど百歳生きた。
長生きの時代だから百歳生きる人が増えてゆく、牡丹のように大輪の花を咲かせて死ぬという時代なのかもしれない
百歳元気で生きられればそうなる。亀は長生きの象徴でもある。つまりこれは高齢化社会に似合っているのである
鶴は千年亀は万年というからである。また人間は長生きすれば成長して竜にもなるということがある。
人間は成長し続けるからである