2025年06月03日

和紙は紙漉きは土地により違ったものとなる特産物となる文化だった 【文化の意味ー大量画一生産からそれぞれの土地の歴史を文化を見直す時代】


和紙は紙漉きは土地により違ったものとなる特産物となる文化だった
【文化の意味ー大量画一生産からそれぞれの土地の歴史を文化を見直す時代】



和紙を作る工程で行われるゴミや不純物を取り除く作業は、川の水がきれいでなくてはできません。
良質な和紙作りのために清らかな清流は必要不可欠だったのです。

現在でも全国各地で作られており、各産地で原料や水質、製造方法にそれぞれの特長があることから、産地ごとの呼び名があります。

特に、2014年にユネスコの無形文化遺産に登録された岐阜県の「本美濃紙」、島根県の「石州半紙」、埼玉県の「細川紙」は、原料である楮を国産の物のみとし、良質な水源を持ち、世代間で伝統技術が受け継がれていることが高く評価されています。

原料や用途によっても異なりますし、一つひとつが手作業で仕上げれらていることから、産地の土地柄、水質によって多様な性質をもっています。

和紙に魅力を感じるとき今の紙のように一様のものではない、大量生産もできない、その土地土地の特徴があり手作業で作られる

麻紙・黄麻紙・白麻紙・緑麻紙・常麻紙・短麻紙・白短麻紙・穀紙・縹紙・加地紙・加遅紙・梶紙・檀紙・眞弓紙・長檀紙・斐紙・肥紙・荒肥紙・竹幕紙・楡紙・朽布紙・布紙・白布紙・本古紙・藁葉紙・波和良紙・杜中紙・松紙

中国における麻紙は,唐時代(618‐907)までは盛んであったが,北宋(960‐1127)以後は減少して,楮紙や竹紙が主流となった。日本の麻紙の製紙は長く絶えていたが,大正時代に越前紙(福井県今立町)の岩野平三郎によって復興され,現在も同家が日本画を中心とした書画用紙としてすいている

自然素材と地域資源の活用

和式の紙漉きでは、主に楮(こうぞ)、三椏(みつまた)、雁皮(がんぴ)などの植物繊維が使用されます。これらの植物は、日本各地で自生しており、地域資源として手に入れやすかったため、紙漉きが盛んに行われました。また、これらの素材は、湿気や温度変化に強く、耐久性に優れているため、書物や文書の保存に適していました。

陸奥紙(みちのく紙)

陸奥国紙で厚ぼったい紙に、香りだけは深く焚きしめ ていらっしゃる。とてもよく書き上げてある。和歌も(源氏物語)

恋の歌は薄い紙に書かれていてその対称的なものとして陸奥紙があった

平安時代に陸奥(むつ)国で産出された、コウゾ(楮)を主原料とする上質の和紙。「みちのくにがみ」ともいう。衣(ころも)川流域の平泉文化圏で漉(す)き始められたとの説もあり、その紙質が都の紙屋紙(かんやがみ)に匹敵するほど良質なため、平安京の貴族の間でもてはやされて、やがて紙屋院を衰退に導く結果ともなった。王朝文学にしばしばその賛美のことばとともに用いぶりが表れており、厚くてふくよかな、しかも白くて清らかなその麗しい紙は、懐紙として詩歌を書いたりするのに愛用されたことがわかる。はるかな奥羽地方をしのんでか、唐様(からよう)に檀紙とよんだり、あるいは真弓紙(まゆみのかみ)といったりしたようである。

[町田誠之]

書画用としてだけでなく、紙子(かみこ)、紙布織(しふおり)の二種の紙衣料も産しています。丈夫で夏は涼しく、冬は暖かいという特性を生かして、紙子は江戸時代の庶民大衆の防寒衣服として愛用されました。また、紙の織物として有名な白石紙布織は、公卿将軍家諸大名衆などに夏の礼服として着用されました。

奥州白石手漉き和紙


和紙の歴史は古い、和紙が地域によって違ったものになった。それが材料とか水質と関係しているのも興味深い。
要するに和紙は今の大量生産の一様なものではない、日本の地域の文化なのである。culture-cultivateでありその土地で育むものが文化である、その土地の特産物が文化である。だから和紙は地域によって違ていて味わいがあるというときそである

陸奥国紙で厚ぼったい紙に、香りだけは深く焚きしめ ていらっしゃる。とてもよく書き上げてある。和歌も(源氏物語)

というとき厚ぼったいとなると何か陸奥の素朴さがにじみでるとかなる。確かなことはきれいな水が流れている所が和紙の生産には必須である。だからこの辺で紙漉きが行われていたのは細い流れであり支流であり沢である。それは本流となると大きな川になると川の水が濁るからである。新田川より水無川とかいいとなる。それで高倉村でも紙漉きが行われていた
そこはかなり奥まった所であり清流がある。相馬市の山上村では紙漉き沢があり清流が流れる場である
でも宇多川ではないのである。

それで飯館村でも葛尾村でも紙漉きはなかった。それは飯館村とか見ると紙漉きにふさわしい細い清流がなかったからなのかとなる。また急流となると紙漉きに向いていないからなのか紙漉きはなかった

水と関係するという時米でも水質が相当に関係している。この辺で鹿島区だと栃窪村は山の村だから水質がいいとして米がうまいとされて買っていた。また水質は会津だといいから米もうまいし酒でもいいものがブランド品ができる
それは山国であり水が豊かで水質がいいからである。ともかく農産物は風土の影響を受けて独自の物ができる
風の具合とかまで関係する。それは風土の微妙な影響を受ける。
だからワインでも葡萄は光の影響を受ける、川や湖の岸で作る葡萄は光の反射が影響するとかまでなる
それでワインには土地の名がついている、つまりcultureなのである。

そうなると今の大量生産の紙には文化がないともなる。みんな同じであり規格化されたものだからである。
工業製品は規格化されやすいのである。そうなるとそれは文化ではないともなる
文化とはその土地土地から生まれたものであり違っているから価値がある。だから世界的に共通化した食は文化がない
その国独自の文化がない、フランス料理があり中国料理があり日本料理がある。アメリカ料理とかはないのである
だからコカ・コーラとかハンバーグとかアメリカ料理がグローバル化したものはそれは文化と言えないのである
お茶は文化だとなる。日本だと茶道まで生まれたからである。アメリカには歴史が短いから文化がないのである

つまりアメリカは広大な土地があるが文化が育まれないともなっていた。今何か物が大量に生産されてもそれが規格されて一様化されて文化が消失したともなる。それで不思議なのはなぜスーパーの時代で商店街が廃れた時代にお菓子屋だけはどこにんでも残っている。それは村単位でも残っている、丸森の大内にも菓子屋がありと辺鄙な所でも残っている
それはその菓子屋で独自の味の菓子を作っている、その味は代々伝えられて作られたものでありその家の土地の文化だとまでなる、大量生産されたものはみな同じ味であり安いとしても価値がないとなる

何か情報に関してもそうである。全国版になるとかならず大谷翔平一色になる。むしろそうしたマスコミより地域からの発信が新鮮だとなる。それはやはり地域地域ですべて違ったものがありその土地土地が違っているからである
それでtake placeが起きるというとき場所が関係しているからそうなる。その場所のことを知らないと実は何が起きたのか理解できないのである。テレビを見ても切りとった映像を見てもその場のことがそこに立たない限り理解できない。
でも一回でもその場に立ったらその場所をイメージできる。それは外国になると余計にその場のことが理解できないから誤解するのである。

ともかく現代はグローバル化して大量規格生産の時代だった。これからその土地土地の特色を生かしたもののが見直され追求される。ここでも価値観が変わって来たのである。だから歴史を過去を振り返り見直す作業が必要になる
紙漉きが石神村で行われていたという時それをふりかえり石神であれその村全体であれ見直す、そこに子育て地蔵があるというときもまた古い碑などでもそこにつづいた歴史を見直すことである。子育て地蔵があれば江戸時代の子育てはどうだったとかイメージするのである。文化の時代という時情報時代でもマスコミの時代は終わった
誰でもテレビ局youtubeで放送できるとかプログでも無料で個々人が地域から発信できることができる
地域の歴史でも遺産でも掘り起こす文化の時代なのである。

だからコンパクトシテイとかなると経済合理性の追求でありそうするとグローバル化経済のように文化が失われるのである。
ただ便宜性経済合理性を追求することは文化の荒廃を産んだ。そこに何か無理があったのである
農産物でもそれはその土地土地と密接に結びついたものであり単純にグローバルに見れないのである
第一アメリカとか中国の広大な土地と日本の山国の狭い土地とではあまりに違っている。農業は工業のように画一化しにくいのである。世界的分業は成り立たないのである。

ただグローバルな視点は必要である。それでグローバルとローカルは結びついたグローカルという言葉の発明があった。また地理と歴史が結びついた地歴という言葉もそうである。今は振り子がグローバルからローカルの方にシフトしてきたと見る
だから和紙とかでも見直される、地域の特産物などでも見直されるとなる。米でも地域によった味が違うからである
そしてその背景にあるのが自然があり地域地域で住む自然環境が違うから文化が生まれる

だから相馬藩でも飯館村とか葛尾村だと山国であり自然環境が海に面した平地とは違っているのである
ただ山というのはわかりにくい、飯館村の山は海側から見る山とは違う、何か身近であり親しい山になる、穏やかな山なのである。だから気軽に登れる山ともなる。だから飯館村には別な文化が育まれるとなる
でも原発事故でその良さが活かされなくなった、荒廃した。でも山とか森の景観は失ってはいないのである
でも今でも山菜とかは放射性物質に汚染されているとかこれまでの食生活ができないことがあり問題なのである

石神村の紙漉きの歴史
(天明の飢饉の時移住した越中などの人が伝えた)







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