太陽の昇り沈む方角地名が基本でもわからなくなる
【なぜ南山がまれなのかー北斗七星―妙見信仰が生まれた所以】
現宮城県丸森町側では朝日に輝くので東光山、新地町側では鹿狼(かろう)山に対して兎狐とこ山とよぶ
「南に山を背負っている土地」は耕作に不利で、好んで住み着く人が少なかった。
北半球の日本では、北に山を背負い南側に開けた土地の方が、南に山を背負い北側に開けた土地より日照時間が長い。北に山がある土地(南斜面)の方が、南に山がある土地(北斜面)より耕作に適していて、人口も多く集まってきた。
東山というのは地名として普通にある。それは京都が有名である。
平安時代、「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは…」と、清少納言は京都・東山を『枕草子』につづる
東山は日の昇る方向になる。西山は日の沈む方向になる。それはわかりやすい、北山も日の沈む方向になる
でも南山は意識しにくい、なぜ南山というの山がまれであるのか、日照時間と関係していたのも興味深い
ただそれだけなのか、そもそも東風は意識する、太平洋側だと3月ころ必ず東風(こち)が吹く、そのために原発事故が3月11日であり丁度東風が山に向かって吹いて放射性物質が浪江の津島とか飯館村に運ばれて汚染したのである
ともかく南という方角が意識することが少ない、山にしても東山があり西山があり北山がある。それは普通に意識する
でも南山は意識しないのである。それは太陽の昇る方向として東があり沈む方向として西がある
人間の感覚として東はそうして意識しやすい、常に太陽が昇る方向と沈方向を意識するからである
太平洋側に住んでいれば常に海から陽が昇る、そして山の方に西に太陽が沈む。でも山に囲まれた盆地なら山から陽が昇り山に沈むのである。だから陽が昇る方向がどこであれ東になり陽が沈む方向が西であり北になる
それで不思議だったのは東(あずま)というとき琵琶湖の比良の山の麓の高島とから見ると丁度関ヶ原辺りから陽が昇る
そして西は琵琶湖の湖西線になる。だから東というとき常に陽が昇る方向として意識する
ただ日本海になると山から陽が昇り海に沈むから太平洋側と逆になる
また日本海は韓国から見れば東海になる。陽が昇る海なのである。それで日本海ではなく東海にすべきだと主張する
日本の海だということが気にくわないとなる。メキシコ湾をアメリカ湾にすべきだというのもそうである
確かに地名に領有権を主張するよりただ方角地名にするのが公正だとはなる
でも日本からすれば東海にはならない陽が沈む方向になるからである。だから方角地名ですべてがいいとはならない
確かなことは丸森では鹿狼山は陽が昇る東であるが太平洋側から見れば陽の沈む西なのである、その感覚は真逆なのである
だから住んでいる場所によって逆の感覚になる。
とにかく旅をするとこの方向が気になる、飯館村さえ山で囲まれているから間違って帰るのに陽の沈む方向に西に北に向かっていた。でも陽が沈む方向は太平洋側に出るのではないと思い引き返した。山に囲まれているから方向がわかりにくいのである
陽が昇る方向が東であり陽が沈む方向が西であり北である。
それで不思議なのは相馬市の日下石(にっけし)である。この由来は西だというのが有力だろう、なぜ海岸に近いのに西なのかとなると海から見ると確かに陽が沈む方向なのである。だからこの地名は海洋民族の安曇族とかが名ずけたのかとなる
現実に津波でその近くまで海になったからである。その海から見たら確かにその辺に太陽が沈むのである
地理の基本は地名の基本は方角地名である。でもそれがわかりにくいのである。会津の東山温泉がどうして東なのか感覚的にわからなくなった。会津は山国だから方角がわかりにくいのである。
アメリカでも西部はカリフォルニアであり西だから太陽は海でも西に沈むのである。その西から東に向かうと日本になる
西へ西と開拓者は移動した。でもその西は太平洋で尽きる、そして更に西へ西と行けば日本に到達したのである
遣隋使の小野妹子が、持って行ったとされる書簡が「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」(日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや、云々)で始まります。
これをアメリカにあてはめると日の没する国から日の昇る国となる。それは失礼だとなるより科学的公正な見方である
ただ人間は陽が昇るのと沈むでは感覚的に逆の感覚を持つ。陽が昇るは興隆する感覚になる、陽が沈むは何か衰える感覚になる
東の野に炎の立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ」柿本人麻呂
これは東は興隆することであり西は月が傾き何か正反対の感覚である。
世界史でも東西の感覚が基本にある。東洋文明があり西洋文明がある。東洋文明がオリエントになり文明は東洋が起源なのである。つまり方角を知ることが世界を知る基本なのである。だから北斗七星でも北極星でも方角を知ることで信仰までなった
相馬氏の旗印は妙見信仰でありそれは北斗七星である、それは遊牧民からもたらされたのである
時代は886年頃。
「平将門が伯父の平国香と争うと、良文は将門に味方して染谷川で戦いを繰り広げた。
この戦いで将門・良文の軍勢は苦戦し七騎のみとなり、
良文は自害する場を求めてさまよっていた。
そこに突然不思議な声が聞こえ、その声に誘われるままに後をついていくと寺院が現れた。
その寺院の寺僧によるとここは妙見寺という北斗七星の化身・妙見菩薩を祀る寺院であり、
良文が妙見菩薩に選ばれた者であるといい、七星剣を渡された。」
【妙見信仰】B相馬妙見の相馬神社と妙見菩薩に選ばれた「平良文」
なにかわからないけど旅をすると方向がわからなくなる。すると方向を知る北斗七星とか北極星を見て方向を知る
それで救われることがある。つまりそれで信仰までになった。道に迷う方角がわからなくなることは生死にかかわることだからである。
鎌倉末期天台教学と融合した山王信仰が説かれた。山王七社は北斗七星でもあり、庚甲・北斗・山王信仰との
関係が密接です。
妙見信仰をめぐって
この山王神社もまた多いのである。
南相馬市の名前の考察 【地名は方角地名が基本−東西文明の興亡】
タグ:妙見信仰の由来 相馬氏の旗印 北斗七星と千葉氏相馬氏 陽の昇る方向沈む方向 日本海と東海 海洋民族と方向 遊牧民と方向 盆地の東と西 東西文明の由来 相馬野馬追いの旗 東山、西山、北山 南山はまれ
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