人の心を見れるのは神のみ
【犯罪の動機であれ何であれ動機を知ることは簡単にできないー心はよろずの物よりも偽るもので、はなはだしく悪に染まっている】
カミュの小説『異邦人』には、犯人が法廷で動機を問われ、「それは太陽のせいだ」と答える場面があります。カミュが伝えたかったのは、まさに「人の心の奥底は見えない」ということではないでしょうか。
犯罪者に狙われる家の「共通点」とは? 広域強盗事件の現場から浮かび上がる「2つの条件」
●事業するにも何でも動機がわからない
そもそも犯罪だけではない、あらゆることで何のためにするのかその動機が何なのかわからない
事業するのも何のためにするのか、その人は何かもともと誰も取れない難しい資格をもっていた。
それで事業を始めた、何か都会の金持ち相手に別荘とか作り売る仕事である
その動機はまず金になるからする、それはみんな同じである。利益になる金になるからする。
それを咎めることはできない、でも動機としてもともと優秀であるとしてさらに事業を起こして優秀なことを見せてやるともなる
でも事業に失敗して借金になり四苦八苦になった。それで私の所に一千万とか貸してくれとかなる
それは私自身が介護で四苦八苦しているとき要求されたのである
その家は私の親が相当に助けた。それで最初は恩返しで介護の手助けをしていたのである。だからその人が全部悪いとかではない。ただそうして大きな借金を背負っていたら人を助けることはできない
ともかく事業でも何で起こすのか、金持ちになりたいからだというのが一番多いだろう、だからそれを責めることはできない
でも動機を知ればそんなことで事業を起こされて失敗しても同情されるだろうかとなる
だからどういう動機で事業を起こすのか問題になる
何でも人間がなぜ様々な行動をするのかそれがわかりにくいのである。例えば宗教団体なら何かそこは宗教を求めて入ってくる人達でいい人達だとみる。でもカルト宗教団体となるとその動機は千差万別である
そこに有象無象の様々な人の求めるものがあり入ってくる、そこにはよからぬ動機で入る人達も多い
極端になるといい女がいるとかでも入る人がいるしまた商売が繁盛するということで入る人もいるし病気で苦しみ直したいとして入る人もまた多い。人間には様々な苦しみがあり欲望がある
だからカルト教団ではその動機が不純であれ何であれ問わない、創価とかなれば一票になればいいだけである
いちいちその動機など問わないのである。だからこそあれだけの人が集まったとなる。
●神は心を見ているということは動機を見ているということ
そもそも何か動機を見る人は動機を考える人はまれである。利益になればもうかればいいというのが多い
要するにその人の成果はいくら利益を上げたかで計られる動機は関係ないしそれを見る人はまれである
それは動機をたずねると複雑怪奇でわからなくなるからである。
でも人間ならそれをあからさまには言わない人のため社会のためとか美辞麗句をならべる、実際は自分の欲を満たすためであるとなど決して言わない、それは政治家が常に二枚舌になることでわかる。みんなにいいことを言っても自分の地位と利益のためであるのが本音だとなる。それをネットであからさまに言った議員がいた。選挙の時は頭を下げても後は知らないと言っていた
その動機は社会のためではなくみんなためではなく自分のためでえあり自分が最優先なのである
動機も美辞麗句を並べても自分の利益が最優先だとなる。誰も自分が損することはしたくないとなるからである。
心はよろずの物よりも偽るもので、はなはだしく悪に染まっている。だれがこれを、よく知ることができようか。
エレミヤ書 17
人間の心は偽るものでありだれがこれを、よく知ることができようかとなる。つまり誰も人間の心は何なのか見ることはできないのである。宗教団体だから心の清い人が集まるなどない、そこにはあらゆる欲望を持った人が集まる、なぜならあらゆる欲望が是認されてその欲望がかなえられるとして祈っているからである
なぜ宗教が偽善になるのかとなればキリストであれ釈迦であれそもそもそもその教えが高等過ぎて実現できないからその正反対のものになる。どうしても偽善になる。本心は自分自身の欲望をかなえることだからである。
それをあからさまに言えないからジキルとハイドのようになる。
それで本当に親鸞のように自らを大悪人だと言った人が正直だとなる。その人が本当の宗教家だとなる
要するにこの世の善人は悪人だとなるのである。何が善人なのか悪人なのかわからないのである
だから犯罪者でもその犯罪を犯す動機は千差万別でありわからないから警察司法ではそれを詮索しない、その犯罪行為だけを見て動機は深く見ない、そうなると複雑でめんどうになるからである。
そもそも人間の心を見ることはできない、でも神のみが人間の心を見ることができる
神は人間の心を見る
神のみが人間の心を見ることができる、そこで偽善は通用しなくなる、それで心の清い者は神を見るだろうとなる
だから最終的には神はそれぞれの人の心を見て裁くとなる。でも現実のこの世での裁判は不公平になる
悪は決して裁かれることはない、人間にはそもそも心など見ることができないからである
裁けるのは神しかないのである。だから裁判は不公平であるむしろ大悪人は大善人になる、偽善者が大善人とされる
●善人なおもて往生を遂ぐ、況んや悪人をや(親鸞)
要するに人間は善人と思ってる人が善人ではない、むしろ悪人と自覚している人が救われるとなる
でも現実はそう思う人はない、常に善人ぶるのが人間であり
心はよろずの物よりも偽るもので、はなはだしく悪に染まっている。だれがこれを、よく知ることができようか
つまり人の心は知り得ようがないのである。だから善人が実は悪人であり悪人が正直であり救われるとまでなる。
そして犯罪であれ人間には人の心を見れないから裁くことができないとなる。
実際この世では大悪人でも大善人としてあがめられる。だあらこの世から不公平はなくならないのである
わずかの罪でも犯罪でも百円盗んでも刑務所に入れられる人もいるが何億であれ何十億であれ権力ある人は労せずして得ることがある、それも大犯罪なのだが罰せられることもなくかえってこの世ではあがめられるとまでなる
それほどこの世とは不公平な場なのである。
現実に何百万盗まれたがそれは警察でも無視した、でも百円盗んでも警察は逮捕して刑務所に入れる
そういうことを自分は経験している。そんなこといくらでもある。警察であれ司法であれ不公平なのである
要するにこの世の大善人は大悪人であるともなり警察も司法も罰することはできない、それは原発事故でもそうである
東電の幹部が全く罰せられていないからである。それは何故なのか?そこに社会の深い闇があるとなる
そしてこの世ではその闇が暴かれることがないのである、それはそのままで終わるのか?
やはり裁かれるとなる。死後裁かれるとなるからである。ただ人は死後のことなど恐れる人はいないのである
今が良ければいいだけである。第一罪を自覚できないし自分が悪人だと思う人はまれである
それで殺人を犯した人もそうだった。たまたま運が悪かっただけだと言って全く反省していないのである
だから自分の罪であれ自覚できないから千人殺してみろと親鸞が言った。そうでないと自覚できないのである
私自身でもそうである、みんな善人だと思っているからである。悪人が救われるという時罪を自覚した人が救われる
でも普通は自覚できないのである。
この世では大悪人でも大善人とされる。そうした逆転した世界に生きている。
だから来世の神の国ではそういうことがないから驚き今まで生きて来た世界は何だったのかとなる
それもこの世にいる限りわからないのである。対象的にに見れないからである
タグ:善人と悪人 人間はジキルとハイド 人の心を見れるのは神のみ 犯罪の動機 動機がわからない 事業する動機 悪人正機説 人間になぜ偽善が多いのか 神は人間の心を見る 人間に裁く力はない なぜ宗教が偽善になるのか の世は常に不公平
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