2025年07月16日

閉鎖された社会で起きた異常な事件 【魔女裁判や村八分、カルト教団の異常性、家族の異常性、原発村など】


閉鎖された社会で起きた異常な事件
【魔女裁判や村八分、カルト教団の異常性、家族の異常性、原発村など】



 閉鎖社会と異端への恐怖【魔女裁判】

地縁的な小集団では「他者」への警戒が強く、身寄りのない高齢女性やシングル、治療行為をしていた民間治療師などがターゲットにされやすかったです 。

噂・確執・嫉妬・個人的な争いなどが、魔女疑いの火種となりやすく、コミュニティ内部の人間関係が魔女裁判に発展することもありました 。
被告の75〜85%が女性で、特に高齢・未婚・貧困・民間医療実践者などの弱い立場の女性が狙われやすかったです 。
「女性は悪魔に誘惑されやすい」「道徳的に劣位」というステレオタイプが、魔女怖れの理論的根拠とされました 。
村の女性間でも、噂や嫉妬から内部告発(魔女疑い)が起きる構造がありました 。



人間は外国となると別になりい異世界になる。でも人間として共通なものが世界的にある。だからその場にだけ起こるものではなくどこにでも起こるとなる
魔女裁判でもやはり日本の村社会のような閉鎖的な環境で起きた。日本では村八分になるがヨーロッパでは宗教が大きな力を持っていたので魔女裁判になった。何か村という狭い閉鎖的場で出口がなく異様な感覚が醸成されたのである
それが不思議と日本の村社会と似ている。共通しているのは閉鎖的環境がありそこで異常性が生まれた
そこで付き合うのは狭い範囲の人であり外部の人と接しない場である
カトリックの異端裁判などでも閉鎖集団の中で起きた。

何かそういう異常性はこれだけ広範囲にグローバルに交わる世界でも起きている
例えば家族は閉鎖的環境である。だから他者の家族の中に入り込めない、でもその中で異常が生まれる
それが自分でもあった。閉鎖された家族で外と交わらず異常化した。ニートとか引きこもりはそうなりやすいのである
社会性が失われるからである。

この閉鎖的環境というときカルト教団などでもそうであり現代の問題でもある。そこも作られた閉鎖的環境でありそこで社会と切り離されて異常と見えることでもエホバのように輸血を禁じるとか行われる
それが異常でもその団体の中では正常なのである。
だから創価でもカルト教団では家族自体が信者だから他のことが見えなくなるのである。それも子供の時からそういう閉鎖的環境で育つのだから全く洗脳されてそれ以外見えなくなる、異常であってもその家族内では正常でありそれ以外のものが見えなくなる。そいう人と学生の時接したがそれはナチス党員のようになり他は一切見えない、ハイルヒットラーになっていたのである
でも家族がそうなのだからそれ以外のことは考えることもできないのである

その時その人は一種の病気だと今は思う。そしてその後その人の付き合う人はやはりそうして同質の人達でありますます異常が異常ではなく凝り固まったものとなった。何故なら創価とかの幹部になったのだからその異常性がその内部では正常であり
ますます拍車をかけて異常性が先鋭化してもはや改めることは不可能になった

異常性はあらゆる所であるかもしれない、それは一つの団体のなかで所属して働く時でも起きているかもしれない
会社員でもやはりそこは閉鎖的環境であり同質化になる。他の会社のことはわからなくなる。
それはあらゆる職業で起こりえる。その職場でも同質的であり他の職場のことはわからないからである。
つまり人間社会は必ず閉鎖的なものが必然的に生まれそこで異常性が醸成される。

それは自分というものが他者との比較で対照で見えるものがありそれがないと自分のこともわからないのである
赤があり青がありその比較で対照で他者を認識する、赤ばかりだったら青が存在しないし認識できないとなる
それがナチスを産みカルト宗教を産んだとなる。そこでは黒一色になり黒以外は存在させなくさせられるのである
それは社会全体でも起きた、ナチスであり全体主義のファッシズムがそうである。

いずれにしろこの異常性の問題は人間には常に存在した。それは人間はどうしても閉鎖的場で生きることを強いられるからである。村八分が起きたとしても逃れることもできないのである。遊牧民だと移動するからいいとなる。農民は土地に縛り付けられているからその場から人から離れることができないのである。そこに異常化異様化がうまれ犯罪も生まれる
閉塞した環境で逃げ場がなくそうなるのである。
家族でもその中で異常化するのは家族という閉鎖的環境でそうなる。他者の家族のことがわからないからである。
家族でもそこに多様性があるといいとなる。まず親一人子一人とかなるのは一番よくない。そこは同質化して兄弟もいないのだからコミュニケーションも偏る。そこは密室となり閉鎖的環境となる

こういうことは人間の特有の問題として起きる。それは原始部落でも起きる。他の村(部落)のことを知らない、するとそこで諍いが起こり戦争にもなる。どちらの村にしろ閉鎖的環境にあり互いの村の人たちを理解しないからである
ただそれぞれの村で通婚があると理解するようになる。それは親戚関係になるから互いに助け合うともなるからである。
また商業でも互いに理解し合うものが生まれる。でも一方で争いもそこに生まれる、商業は閉鎖的環境を破るものとして有効であったが争いも生んだ、昨今のアメリカとの関税問題がそうである

ともかく閉鎖的環境で異常性が醸成される。カルト教団だとその中で正常でも外部から見ると異常になる
でもその中の人達はそう見ないのである。黒一色として染められていてそこに黄色であれ青であれ入る余地がなくなる
何かそれは病理的なものであるがその団体ではむしろ正常であり認められるから変えることが不可能になる。
それがナチスだったのである。また共産主義国家でも起きたのである。一つの色に染まらない者は強制され一つの色に染められる、それで仲間と認識されるのである。国家自体がそうして閉鎖的なものとして異質なものを受け入れなくなる

人間社会には常にこうしたことは起きて来た。どうしても閉鎖的なものが自ずと作り出される
現代だと無数の職業がありその中で他者の職業のこと理解できない、それは原発でも起きた、核のことなど庶民は地元の人でもわからない、するとそこはブラックボックスとなり何をしているかもわからずその危険も隠蔽されて大事故になったとなる。
そこも閉鎖的環境が意図的に作られてそうなったのである。いみじくも原子力村といわれたのはそのためである
まさに閉鎖的な村が最先端の科学技術集団で起きていたのである。だからこの問題は文明が発達しても人間社会には起こる
閉鎖的環境を人間は作り出すということである。それが問題を産むのである






posted by 天華 at 15:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育心理学など
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