南相馬市が原発事故でなぜ分断されたのか
【合併してかえって元の町、市が意識されるようになった】
飯館村合併の歴史
この村は、何度も複雑な合併を繰り返し、現在の名前に落ち着いている。
まず、町村制施行の1889年(明治22年)に飯樋村と比曽村、大倉村と佐須村が合併し、合成地名でそれぞれ飯曽村、大須村となった。
つづけて、1942年(昭和17年)に飯曽村が石橋村(この地名も合成地名である)を編入し、同年、大須村と新舘村が対等合併し、合成地名で大舘村となった。
最後に下記の年表にあるように、飯舘村という合成地名に落ち着いた。かろうじて、飯樋村と新舘村の一文字だけが、現村名として存続している。
そもそも歴史をたどると日本は村が単位であり藩がありその中で生活していた
村にしても小規模であり村同士でもあまり交わらないのが普通だった。
それで明治以降合併があったが例えば大倉村と佐須村が
合併するとき民情が違うと合併しなかった。その距離は5,6キロくらいしかないのにである。これは頻繁に車で行き来している今の時代とはあまりにも違っているからそうなる。5,6キロでも歩けば遠いのである。
それでも民情が違うと合併しなかった
民情(みんじょう)とは、国民の心情や実情を指します。 具体的には、国民の気持ちや生活状態を表す言葉であり、時代や社会の変化に応じて変わることがあります
今ならこんなことはありえない、それだけ近くの隣の村でも人々は交わることなく暮らしていた。言葉でも微妙に違ったりする。それが日本だったのである
そもそも日本だけでなく人間は集団化して住む。するとその集団で争いが起きる
ささいなことでも起きる。その最たるものが土地の争いである
入会権の争いが戦国時代の原因だったというとき、人間は土地をめぐる争いが基本にある。それは世界的にもそうである。領土をめぐる争いが国と国の大規模な争いに発展する。入会権ではそこに大名が介入して戦国時代になったというのもわかる
また資源をめぐる争いがある。丸森の森林、木材資源をめぐり伊達藩、米沢藩、相馬藩が三つ巴の争いとなった。それは木材は炭にもなるし資源として重要だったからである。それは今の石油と同じだったのである。
ともかく南相馬市でも小高町、原町市、鹿島町が合併した時同じようなことが起きた
それは原発事故で起きた。かえって南相馬市と合併しても前の市町村が強く意識されたのである。それは原発事故の補償金の分配で争うともなった。
なぜなら小高区、原町市、鹿島区で補償金の額が違ったからである。
でも原発は合併される前に作られていてその時南相馬市は関与しなかったのである
だから小高に東北電力で原発が作られるとなってもそれは小高町の問題であり原町市や鹿島町は関与しない、それよりそうした重大なことでも知らない人が多かった
自分たちとは関係ないと見ていたのである。これも怖いことだった
そもそも原発は一市町村とか狭い範囲で決められるものではなかった。そして危機感をもたなかった。
一市町村で決められるものではなかった。でも原発のことを理解できないから政府や東電のおもいのままにされたのである。そして地元でもかねになればいいとしかなかった。だから東北電力の原発が小高に建設されるところだった、工事も始まっていたのである。するとそれは小高だけの問題ではない、南相馬市や相馬市や広く福島県の重大な問題として検討すべきものだった。それが全くなかったのは原発が何なのか理解できなかったからである。それで小高では景気が良くなると建築土木関係の人が言っていた。
これだけの事故が起きてもそれが金いなるとなればいいとなる
いづれにしろ南相馬市が合併して返ってその前の市町村が意識されるようになった。
それは原発事故の補償金が小高―原町市ー鹿島で違っていたからである
小高は避難区域になったから一番高い、次に原町区も高い、鹿島区は30キロ外であり少なかった。つまり合併前の市町村がかえって意識される結果になった
そもそも原発は一市町村で決められないものだった。今回の事故でそれが判明した
30キロ内は住めなくなるから一市町村だけで決められない。でも原発を作る方にすれば一市町村を相手にした方がいいのである。その方が補償金でも少なくてすむからである。それは原発のことをみんな理解できないということでそう仕向けられたとなる
別に一市町村と交渉すればいいとなれば楽である。ここに原発の問題があった。
そもそもなぜ東電では福島県に原発を作ったのか、それは東京に作れないからである
場所としては東京湾があり立地的には良かったのである。管理するのにも良かった
本社から遠くなれば安全管理もしにくいからである。それで福島原発事故の時連絡がうまくいかず指示もできなかった。そのために吉田所長が悪戦苦闘したのである
責任回避のために福島に原発を作ったことが返って裏目に出たのである
原発はこのように常に危険でありそれを隠蔽して責任を回避するように働く。そして権力で安全神話を作り事故は起きないとするから避難訓練もしなかった。
ともかく事故から14年もすると冷静に振り返る。何か混乱して何であったのかわからなかった。原発がいかなるものか今になれば国民でも理解する
それでも野党でも原発を増設しろとなっていることが理解できない。それは事故当時者のことがあまり語られない、その当事者も国民に訴えないことも原因している
補償金もらって喜んでいるとかその被害でも大したことがなかったと見られる
むしろ東京の人が福島県民のために苦しみ福島県民が悪いという人もいる
国民でもなんでそんなに補償金を税金から払うのだと怒る人達もいる
国民には責任などないと思うからそうなる。国民が推進したのにそういうのも勝手だとなる。だからこそ野党でも原発増設になる。原発事故はたいしたことではないとなるからである。その責任は原発事故の当事者にも原因がある。補償金をもらうことに血眼になり補償金もらって喜んでいるとかなればそうなる。もし原発事故で人がばたばた死ぬようなことになったら原発増設など国民が認めないだろう。
確かなことは事故から14年も過ぎれば冷静に振り返りそのことの良し悪しを判断する、そのためには当事者のことを知るべきだとなる、そのために地元から発信することに意味がる。やはりその当事者でないと実感できないことがある。でも当事者でも地元でも一様ではない、南相馬市でも一様ではない、だから空間軸だけで鼻時間軸で歴史を振り返ることが不可欠なのである。
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