47日が終わり納骨もようやく終わった。墓の中を見たのは50年ぶりだったのか、父の骨が残っていたことに驚いた。骨格がはっきりしたものが残っていた。一方姉の骨はぱさぱさでありその骨はすぐに土になってしまう。焼き場で高温で焼いたものは骨は残らない、ぱさぱさになりすぐ灰になってまう。ところがなぜ父の骨が残っていたかというと父の骨は焼き場ではない、野辺送りで薪と藁を積んで焼いたのである。これは今からすると凄まじいものだった。今もインドではガンジ−の岸辺でこうして焼いて川に流すのだからその光景はすさまじいものである。無常極まりないものとなる。でも昔は土葬が一般的であり土葬だと骨を焼かないのだから残りやすい、奄美大島では洗骨の儀式が残っていたのは骨が残っていたからだ。人骨が川に流れてきたとか人骨の話があるのも骨が残っていたからだ。火葬にしても薪や藁では骨は残るのだ。
死屍(シカバネ)は骨という意味もあり姓も屍、骨だから骨が墓に残るからそうなったのかもしれない、父の骨がかなり骨らしく残っていたのは薪とか藁では十分に焼けないから原型が残っていたのだ。姉の骨は焼き場で焼いた骨はぱさぱさになってをりすぐに土になって残らない、野辺送りで焼いた五〇年すぎても骨は残っている。そこから骨が残るから姓は屍−骨(かばね)となったのかもしれない、姓の基は日本語ではカバネであり骨のことである。
考古学では人骨が残らないとその学問さえ成り立たないかもしれない、人間の形見として人骨が最後に残るものだからだ。外国ではミイラになるがミイラにする気持ちがつくづくわかった。死んでもなんとかその人の面影を残そうとしたのである。火葬で人間の形が消失したら故人を偲ぶことはできないからなんとか形を残そうとして故人の面影を残そうとしてミイラにしたのである。それは死という無常に対する人間の抵抗であり執念だった。
陸奥の真野の草原遠けれど面影にして見ゆというものを 笠女郎
人間は死んでも切に思う人は面影が絶えず浮かんでくる。
亡くなった人のことが頭から離れない。
亡くなった人の姿が見える。声が聞こえる。
ひたすら涙が出てくる
この経験からしてもこの歌の謎は草原(かやはら)というのではなく地名でもなく陸奥の真野の草原に赴任した大伴家持かもしれない、そんな遠くに行ってしまったその恋しい人の面影は遠くからも見える・・というならわかりやすいのである。一度も見たこともない草原という地を思い浮かべることはむずかしいからだ。
あの世に行っても愛しているあなたの面影は忘れません、私の心に浮かんでくる、どんなに地の果てまで行こうとあなたの面影は忘れない、その面影の主は大伴家持しかいないのである。陸奥の真野の草原という地名ではないそこに赴任した家持の面影だったら今でも理解できるのだ。そうすると大伴家持は東北に来たことになるし現実秋田まで行ったということを考証している人もいる。陸奥の真野の草原の歌自体・大伴家持が赴任したとしないと成り立たない歌なのである。
父・金久正著「増補・奄美に生きる日本古代文化」
http://www1.odn.ne.jp/n-unasaka/moya1.htm
これは本になったものだから内容があり詳しい、昔の葬送のことが詳しく書いてある。
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