2008年12月04日

郷土史研究の基本(地名や村の新旧を知る)



郷土史研究の基本(地名や村の新旧を知る)

郷土史研究で前に村の新旧を知ることが基本になると書いたけど他でも新旧が基本的なものとして大事なのである。なぜなら新旧を知らないと基本的なことを知らないことになるから歴史もわからないことになる。鹿島区の栃窪の上萱(うえがや)は塩の道の通じる山の上に隔離されてあるから古い村のように思えてしまう。他からきた人はそう思うかもしれない、平家落人の部落だよとか言うと信じるかもしれない、ところがそうした辺鄙な奥地も戦後開拓に入った人が多いのである。その歴史は新しいし今は誰も住んでいないからその歴史は一代ももたないで終わっているのである。阿武隈山地でも飯館の共栄橋のある所は山陰の本当に辺鄙な所に二軒あり今は一軒は廃屋になってしまった。ここも地名から開拓に入った場所だったとわかった。上萱(うえがや)はもともとここは人が住んでいなくてもこういう地名があったのかもしれない、萱場とか草刈り場とかどこにでもあり茅葺きの家だったから大量の茅を必要としていたからそういう地名がついた。茅葺きの職人が出稼ぎで会津から来たのも茅葺きの渡り職人がいた。それだけ茅葺きの需要があった。だから上萱はもとからありそこに戦後開拓で人が住み着いたがその人たちは去ってもやはり上萱という地名は残っている。飯館の共栄橋ももし二軒ともなくなれば共栄橋という地名だけになってしまうかもしれない、でもその地名は新しいのである。

財産相続のことで戸籍をとりよせて改製原戸籍をさかのぼりとりよせることになった。それを見たら私の父は葛尾村の小出谷の出であることはわかっていた。でもその前に柏原に住んでいたことがわかった。そこに先祖が住んでいて小出谷にでてきた。小出谷は小出屋であり出小屋を作り開拓した土地である。だから小出とつく地名はあとから出来た地名だとわかる。出小屋が村となった、分家が村となったからである。改製原戸籍から曾祖父までさかのぼってわかった。姓がないいかにも江戸時代の名前らしい人が戸籍にのっていた。侍の出ではなかったことがこれでわかる。郷土史研究の基本は地名だけではないあらゆるものの新旧を見極めることからはじまるのである。それを心がければあらゆるものが系統的に分類できる。姓の新旧もある。岩松氏は鎌倉時代にさかのぼり相馬では一番古い姓でありその姓は謀叛で岩松一族が滅ぼされて消失したから岩松氏の姓がないということが厳粛な歴史の事実となっているのだ。この村の新旧とかは旅してもわかりにくい、目安として城のあったところは古いから一番目安になる。墓地の新旧なども意外と大事である。鹿島区の町中の墓地は新しい、何故なら江戸時代の墓はない、台田中とかの墓について書いたがそこに1600年代の墓が残っているから古いのである。墓地にも新旧があるのだ。つまりこの新旧を見極めることが郷土史研究の基本でありこれを科学的に合理的に統計的にするだけでも郷土史研究になる。中には消えた地名もありそれが一番古い地名だったりする。陸奥の真野の草原遠ければ面影にして見ゆというものを・・笠女郎・・この歌の草原は実は消えた地名だったということでもわかる。万葉集に歌われた地名は700年代だから化石のように古いものである。地名は歴史の化石というとき本当に歴史の記憶として残るものなのである。


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