2008年12月12日

相馬市の発展の歴史的順序(方角地名が地名の基本)



相馬市の発展の歴史的順序(方角地名が地名の基本)
http://www.musubu.jp/somagappeijiji.htm#nakanomurahokaku


相馬市でもどういうふうに街が発展していったか、その中で方角地名はやはり地名の基本であり歴史的発展経路が方角地名からわかる。北郷は相馬氏が小高城を根拠にして中村に進出してきたから小高から北だから北郷になった。今の相馬市は中村でありそこはまだ相馬氏の領地ではない、伊達氏と争い、結城氏と争う、熾烈な場所だった。「相馬半分、北郷一円」とあるのは中村の領域は北郷一円の延長としてとらえられていた。半分は伊達氏の領域だったのである。中野村と中村は一つの村であり宇多川で分断されていた。でもどちらも南郷となっていたのは宇多川は城の近くを流れていて中野村と中村は分断されていなかったと岩本氏は言っている。宇多川は五つも川が変化した川だった。川の流れもかなり変化するものなのである。

地名からわかるものが結構ある。原町は原という地名が他より多い、それは海に比較的面していない山側に原とつく地名が多い、一方相馬市は松川浦があるように湿地帯が多いから原とつく地名は少ないとなる。雲雀が原は広大な馬の放牧場だから文字通り原だから原町となった。地名から最初の自然状態がわかることがあるのだ。


この文章はホ-ムペ-ジの地名談義のシリ-ズにのせた。ここでは連続して地名を追求していたからだ。連続してまとまって読むにはホ-ムペ-ジの方がわかりやすいからだ。

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