2008年12月13日

原町の名の起こり(地名も合併しても歴史的継承が必要)

 
 

原町の名の起こり(地名も合併しても歴史的継承が必要)
http://www.musubu.jp/somagappeijiji.htm#harana1

 
原町村というのはあったがここからは一騎しか野馬追いにでていない、郷士が一家くらいしか住んでいなかった。あとは後から入ってきた人たちだった。原町村は小さい村であり新しい村だった。雲雀が原が広がっていたのだから原っぱが多かったから今の雲雀が原の地域には人はあまり住んでいなかったのである。野馬土手があり馬が逃げないように見張る木戸番が回りにおかれていて町はなかったのである。その後陸前浜街道ができて宿場町として原町宿ができたがそれでも江戸時代には大きな町は形成されていなかった。そこには郷士は住まず古い村々に郷士は住んでいる。比較的鹿島区でも町内から野馬追いにでる人は少ない、村が先であり町はあとから住むようになったからである。南相馬市の合併の名前の問題では随分書いてきた。その続きとしてまた書いた。南相馬市の名前の問題では是非があったがまあ、無難だった。やたら新しい、詩的な名前に地名はすべきではない、歴史の継続が必要なのだ。相馬だということでそれは受け継がれたがやはり相馬市に従属する感じになったのがまずいことはまずかった。でも明治以降の合併でも飯館のように大館があり飯樋がありその一字をとって村の名前にても江戸時代からのつながり継承はあった。ただ美里とかなると全く江戸時代からの継承がないから地名から昔をたどることはできなくなるからまずかったのである。地名は簡単に歴史を無視してつけてはならないことがこれでわかる。
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