2008年12月18日

大船渡線(室根山を通り・・)


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岩一つ岩ノ下駅冬の暮

陸中の駅の一つや冬の雲

(猊鼻渓)

我が向かふ鏡明岩冬の水

鴨群れて流れ静かや老の旅

舟下り鴨の群れよる猊鼻渓

冬静か面やさしくも少婦岩

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過ぎ去りぬ柴宿駅や冬の旅

村の辻古木一本冬の暮

室根山麓に村や冬の暮

室根山見渡す村や冬の暮

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猊鼻渓流れ静かに冬の朝岩の顔見ゆ観音のごとし


岩壁の冬の渓谷流れ澄み朝さえづる鳥の音ひびく

白髪の翁となりみちのくの冬の旅路や老いと語りぬ

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陸中というと陸の中であり陸前浜街道というと陸の前となる。陸前高田とあり海に近い所が陸前となる。三陸となると三つの陸となる。陸中はまだ海からまだ離れている。岩ノ下駅とあれば何か岩一つくらいしかない駅となり実際そうだった。駅舎は無人駅が多い。猊鼻渓の特徴はほとんど流れがないことである。だから舟を操作するのは楽である。鴨が群れより老人の旅人にあっている。他にも東京辺りからきた老人がいた。中高年は今は山を占領している。まだまだ体力あると感心する。山は一番疲れるからだ。少婦岩は確かに女性の顔をしている。面長でありむしろ観音岩なのかもしれない、あの静かな水の流れにふさわしいやさしい顔になっている。ここには二つの顔があったのだ調べたら確かに壮夫岩ともあり二つの顔が密着してあったのだ。柴宿駅は柴と関係あるのか宿なのか良くわからない気仙沼まで地図を見たら途中に七日市とありここしかその名がないからここで七日に市があり名前が残ったのだろう。大きな街は千厩(せんまや)くらいであり千の厩(うまや)があった、ここにも源義家の伝説がある。矢越(やごし)もそうである。義経についで多いのが義家伝説なのである。なぜこんなに多いのか、義経はわかるが義家がそれほど当時は東北各地に影響したことが理解しにくいのだ
この線も昔通ったが完全に忘れていた。忘れたということは記憶にないことは存在しなかったと同じである。旅では良くそういうことがある。記憶から消え去れば行ったとはならない、老人になるとわかるが記憶は最も大事なものである。記憶が消え去ればその人のことも何もわからない、こうしてもう一回来てプログに書けばその人はここに来たという記憶が残る。他の人も記録していなければその人がここに来たとわからないのである。岩手県は本当に広いから地理がわかりにくい、一回くらいきてもわからない、日本のチベットだというのもわかる。ともかく介護で苦しみ三年ぶりに遠くまで旅行して一日ホテルで泊まることができた。本当にあのままつづけば一日も泊まる旅ができないというショックがあった。交代して介護する人がいなかったからだ。30年間自由に旅して旅ができないことは最大のショックだったのだ。旅はやはり何十年前だと忘れるから同じ場所に最低でも二回行かないと記憶にも残らないことがわかった。岩手辺りだと何回も来れるからいいし詳しくなれる。春にもまた来れるからだ。つづきは明日になる。
奥深き岩手の山路その奥に知られざる里年も暮れなむ

少婦岩
http://4travel.jp/traveler/kiyoyuri/album/10185931/

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