2009年01月21日

小説から昔を回想して郷愁にひたる(酒屋は昔の村や町の中核)

●通い帳のこと


正月や現金酒の通ひ帳 一茶

現金酒というと現金払って酒を飲んだのか、升売りで一合とか樽から飲んでいた。戦前もそうであり戦後まもなくもそうだった。そこには昔がまだ活きていたのである。通い帳というと通いという言葉があるように常に人間の元へ通っていたのである。今ならクレジットカ-ドだから人間の元へ通うことはないのだ。これは要するにやはり遠くへ行くときクレジットカ-ドは便利なのである。外国まで通用するからだ。通い帳となれば通える範囲内での商売になるからだ。この俳句からインタ-ネットに短い小説がでていてこれはなるほど当時の酒屋を彷彿とするものだと思い引用した。これを書いた人は酒の専門家だった。蔵も作っている。今でも酒屋の蔵造りに取り組んでいることが意外だった。酒の市場は縮小して酒自体飲む人が激減したと思っていたからだ。

正面から偽りのない店というイメージをお客様に働きかける努力を重ねると、お客様の方からも、いろいろと紹介していただき、 「通い帳」を持って行ってお得意になる。
当時は、「通い帳」をつくり各家庭に持ってゆくことが、一つの信用を得る意味を持っていたから、現金で買ってもらうお客より 「通い帳」で買っていただいたお客の方がありがたいという考え方があった訳だ。」

(商人の道 21ページより)
http://www.maruilife.co.jp/recruit_information/history.html


●酒屋が村や町の中核だった時代

山吹屋の前には、筧(かけひ)が水を落としている。この水がいいから、「峠」の酒はいいのだと評判の水である。

埴崎の殿様の御用達酒であり、埴生のご本家には埴崎の分家が決まっただけ届けることになっている。

商売として酒を扱う人たちは、自分で酒を汲み、通い帳を記し、晦日にはきちんと清算してくれたので手が掛かることはなかった。

新という若者とうこんの間は、蔵に住み込みの婆やや炭焼きをしながら酒づくりも手伝っている人たちにしか見られてはいなかった。


 二頭の馬にそれぞれ四斗樽を振り分けに二本負わせてそれを馬方に引かせて帰った。
そこに見えた人影は、いつもの人たちのように天秤棒を肩に担いでいたが


冬だけの出稼ぎなんですよ。一つの蔵に長く勤める者もあれば、一年ごとに蔵を渡り歩く者もいるんです

峠の酒(篠田次郎)
http://www.vega.ne.jp/~tomita/menu/mtouge.htm



これは江戸時代の生活を彷彿させるものがあった。父が葛尾村から双葉の新山の酒屋で働いたので興味をもった。酒屋は村の中で人が集まる場所であり働き場所になっていた。酒造りと水は深い関係がある。水がいいところは酒がうまい、会津や新潟は水がいいから酒がうまい。
酒屋には地元人だけではない、出稼ぎ者も働いてきた。とすると他国の情報のやりとりもあった。炭焼きしている人がいたがその人たちも酒屋で働き現金収入を得た。酒屋は人の出入りが多いところだった。その当時煙草を吸う人が多いから山の中でも煙草を生産している農家が多かった。今でも阿武隈山中で煙草を栽培している。煙草は阿片の麻薬の一種であり今でもアフガニスタンとかで麻薬を造りつづけているのは容易に現金収入になるからである。当時は煙草で財を成す町があった。四国の貞光町はそうである。そこではうだつの建物が町並を形成している。峠を馬方とか天秤棒を担いで荷を運ぶ人が行き来していた。そこは車の行き来する世界とは違う、人間臭い道であり人間の体臭までが感じられる世界だったのだ。馬も生き物だから極めて人間的なのである。濃密に人間交わり道は馬も行き交う道だった。経済的には酒屋は村や町で大きな役割を果たしていた。双葉の富沢酒店では今も大きな煉瓦の煙突があり工場のようになっている。敷地も広いし町の中心の会社であり工場だったのが酒屋なのである。この小説からは当時の生きた人の姿が浮かんでくる。すると昔が在りし日のごとくそこにあり郷愁の一時を想像してひたることができる。 これは外国でも同じである。ワインを作る工場が市町村の中核だからである。ヨ-ロッパの歴史は日本と違うとしても共通点もかなりある。共通点を見いだす人親しみを感じるのである。



双葉の富沢酒店
http://musubu.sblo.jp/article/17459205.html


●昔は回想して郷愁にひたる

前にもそうして昔の小説を読んだ。結局車社会の騒々しい世界から離れ昔に帰ることが幸せな時間を作るのである。道とは車が行く道ではない、人が歩いてゆく道であり馬が行く道だった。人は馬を名前で呼び馬に語りかけ道を歩いていたのだ。峠を越えるのもそうして越えて行った。車で一気に越えるのとは違う、そこに濃密な人間の交わる場があった。馬頭観音の碑があるときそれはともに働いた相棒であるから死んだとき人間のように供養したのである。今はペットを家族の一員のように扱うのと同じである。江戸時代の生活は人間の足で歩む世界であり人間の生活が土地に痕跡を刻む生活だった。土地と密着して生活する空間だった。過去は失われたのだがこうしして過去を回想すると昔にもどり幸せな気分になるのである。今でも蔵というのも確かにあるのだが実際は死んでいる、用がなくなっいるから生きていないのだ。実際に活用されないものは死んでいる。蔵について俳句とかいろいろ書かれているが蔵はなくてはならないものだった。蔵にはいろいろな用途があった。それが失われたから蔵は過去の残影のようにあるだけで重みがないのである。現代を知るとき過去をしることでよりよく現代をしることができる。中心に蔵があり様々なものが蓄えられている。生活は土地に密着して人間が濃密に交わりともに暮らす、そこが今とは違う郷愁を感じる。当時の人にとってはそんなことを思う人は一人もいない、今のような車社会などになったときはじめてその生活が何かほっとするような人間味あった世界だったなと回想するのである。

郷土史とは昔の再現であり昔から今を見直すことである。江戸時代の俳句を読むと今とは違う、極めて人間臭い人間的なものであり心安らぐのである。それは今では作り得ない俳句となっていたのだ。その時代は失われたからもはやつくりえないものだから貴重なものとなっていたのだ。同じ場所にいてもそうなのである。立っている空間は確かに同じでも時間は違っている。時間のなかで体験したものは過ぎ去れば昔となりもはや二度と体験できないから貴重なのである。それが家族の死別でわかる。家族で過ごした時間は永遠に帰ってこない、ただ回想するだけでありそして回想したときありありと一緒にいた時間を思い出して泣けてくることがある。大げさかもしれないが江戸時代を回想することはそういうことに通じているのだ。失われたものは時間のなかで体験したものは二度と帰ってこないのである。ともかくインタ-ネットはこの文を書いたことでもわかるようにキ-ワ-ドからはじまりリンクをたどる読み方である。参考にした人のことは全然知らないくてもリンクをたどったりキ-ワ-ドから編集してゆく読み方なのである。郷土史関係は膨大なものになるからいくらでもこうして書いていけば書けるとなるのだ。一冊一冊の本を読むのとは違う、そもそもこの短編小説はどこにもでていない、本にもでていないものだった。だからインタ-ネットでしか読めないものだったからだ。


酒屋の通帳
http://www.musubu.sblo.jp/article/1836589.html
posted by 老鶯 at 21:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 明治維新-明治以降
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