2009年02月07日

仕事はwork(作品)することを継続すること(NHKの派遣問題の討論を見て)


 

●継続、積み重ねが価値を生む
 
仕事はwork(作品)とあり作品作りは一生つづく、これは別に芸術家だけではない、作品とは製造業でも同じだった。いい作品は商品-モノ-道具-部品などでありこの品質を保つためには人材が必要であり人材を確保していかねばならない、今不況で注文がないからかと切り捨ていたらまた注文がふえたら対応できない、会社も派遣を景気が悪いからと切り捨てたら会社の継続性がなくなる、グロ-バル化だから雇用は外国に求めればいいと言ったときA国からB国からC国へ移動してゆくならまた日本の国内と同じである。ただ世界へ派遣の切り捨てなのである。
どこの国でもやはりwork(作品)を追求している。ただ一時的なものとして使役されるのが労働ではない、つまりworkには継続性が必要なのである。一時的なものはただ手間仕事であり一時的JOBでありこれで急場をしのぐ、食うだけは確保するにしかならない、そしたら長期的な展望がないから生活設計を建てられない、終身雇用は理想的なものだった。その場稼ぎその場しのぎならそれはWORKにはならない、そこからいいモノ作りはできない、いい作品を作るには継続性、積み重ねが必要なのである。会社でも技能継承ができなくなるというのもそのためである。
 
●work(作品)は代々継続されもの(継続は力なり)
 
大きな視点視野から見れば長期的展望視野がないものは継続しないものは価値がないものである。それは一時的価値の追求になる。つまりwork(作品)する、いい作品作ることを目的としたらそれは一時的なものではない、継続が必要である、積み重ねが必要である。会社でも百年とかで作品、製品作りが追求されてゆくのが理想なのである。そんなことはこのめまぐるしいグロ-バル化の競争社会では理想論であり夢にすぎない、そんなことは通用しない、現実は厳しいとなる。現実に対応するにはその都度社員でも派遣でも切り捨て対応しなければならない、技術の分野では変化が激しいからそうなるのかもしれない、明治から欧米化した日本はあまりにも技術的なものでも変化が激しすぎたのだ。戦争でも戦艦大和が優れたもの、日本人の技術力を総結集したものでも何ら役立たず海に沈んだ。戦争でも役たたなければ技術も応用力がなければ巨艦もただむなしく海に沈んだだけである。ただそれでも技術の継承は応用は日本の戦後の発展のなかであった。技術はなんらか継承されてゆく、宮田は鉄砲鍛冶だったが明治になり自転車を作る技術に応用された。どこにか技術、技能の継承はある。
 
本来仕事がworkだとしたらそれは一代とかで終らない、ヨ-ロッパの石の大聖堂が何世代にもわたって作られてきた。何百年もかけて作られてきた。まだ未完成のものがあるとかそういうふうに継続されるものがwork(作品)なのである。大聖堂というwork(作品)を作るために職人の継続した仕事が行われてきたのである。そういうものが本来のworkであり仕事なのだ。価値あるものを追求するにはそうならざるをえない、一時的なものなら文学でもコマ-シャリズムにのってライトノ-ベルとか携帯小説とかその場稼ぎのものを作り大衆の暇つぶしに消耗されるものを作ればいい、それはまさにwork(作品)ではない、一時的消耗品である。いい作品を作るには時間がかかる、積み重ね、継続が必要である。つくづく最近この年になってわかったことは文学も哲学の作品などもこれは例えば2千年前のものを十分に今に通じて生きている。宗教ももちろんそうである。そういう息の長いものであり今に対話は継続して今の時代にも生きるのだ。そういうものが本当の作品であり仕事(work)したとなる。
 
●グロ-バルな価値の追求も継続が要求される
 
 時代を代表するような作品はその時代だけでは理解されないものが多い、しかしその作品との対話は次代にも継続され理解されるようになる。百年二百年と継続され読まれ検討されるものでなければ作品とは言えないのである。何の分野でも仕事で一番大事なのは継続であり積み重ねなのである。偉大な師に学ぶとしてもそれは生涯にわたる継続した対話でありそこから新たな作品が生れてくる。人間を部品としてとりつけ継ぎ足したりするところにworkはない、生涯workしつづけるのが仕事なのである。社会自体も長期的展望でworkを目指す社会であることが理想である。それが大聖堂の建設でありインフラの整備とかでもあった。明治から日本は余りにも変わりすぎた、めぐまるしい変化の中で何をworkすべきか見失いただ仕事を増大させるだけだということもあったのだ。それでも明治には国家百年の計とかあったが今は二三年後とか十年先を見ても長い、すべての問題は今に集中して過去千年の歴史からの継続的検討などない、未来もせいぜい二三年後が検討されるだけである。それがめまぐるしく変わった政党、政治の世界で顕著に現れたのである。グロ-バル化にしても何かそこで価値あるものを追求するとなると継続が要求される。つまり継続は力なりなのだ。確かに次々に労働力の安い所に企業が移転するのはその国のために長期的にはなっていない、派遣の使い捨てと同じである。グロ-バル化でもグロ-バルに価値あるものを追求しようとしたら継続と積み重ねと長期的展望が必要であり特に環境問題ではそれが要求されるのである。

NHKの討論を見ていて意外と派遣とか雇用問題が哲学的問題なんだなと思いその討論から書いた。
人間にとって仕事することが生涯にわたることだから大事なのである。仕事には様々な要素があり
人間を価値を決定してしまうような大きな問題だからそうなる。単なるその場稼ぎの派遣そのもので
仕事はいいのかとなる。現実はその日の食(職)にありつけばいいとなるがそういう一生は虚しい。
一方で企業価値、会社の価値とは何なのと意外と哲学的な問題がビジネスの問題にも提起されたので興味深いものとなった。派遣でも仕事の価値を追求すれば介護にはそれがあるかもしれない、ただ分野が違うし
経験がないから敬遠する、いづれにしろ派遣にしろ会社にしろ継続性が必要だったことは間違いない、

継続的価値の追求が仕事であり会社の目的だったのだ。
 

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