2009年02月17日

NHK-クロ-ズアップ現代-認知症 広がる「本人が決めるケア


 

●認知症を理解すること自体むずかしい
 

認知症の人を理解するのは相当むずかしいだろう。これは実際に家族でかかえた人でしか理解できないだろう。今日のNHKでは若年性の認知症をとりあげていた。これも若年性と老人性の認知症はどう違うのだろう?とかまた疑問になる。認知症をテレビから見ただけではわからない、ええ、どこが悪いのだろうか?普通に見えるけどなとなる。でもよくよく表情を見ているとどこかおかしいのだ。認知症は知恵遅れになっている。知恵遅れの人とよくみているとにたところがある。社会のことが理解できなくなる。それはいろんな症状となって現れてくる。だから今まで簡単にできたことができない、人付き合いは特にそうである。社会のことがどういうことかわからなくなるからだ。ある人は施設に入ったらそこは会社で介護士は部下だと思っているという。そこがどういう場所なのか理解できない、会社だと思っているからが部下だとすると介護士は部下の役割をしなければならなくなる。「部長、ごきげんはどうですか」「まあまあだよ、お前はあわてて失敗するから気をつけろよ、時間を守れよ・・・」「部長わかりました、ありがとうございます」
こんな会話を嘘でもしていなければならなくなるのが認知症なのである。つまり認知症には演技力が必要になる。

 
例えばお手伝いさんとお手伝いさんを使っていた女性が二人認知症になったらやはり関係は変わらず使う者と使われものとして施設ですごししていたという、それだからこそうまくいく、一方が認知症になったから馬鹿になったから使われている人があなたは馬鹿になったのだから私の言うことを聞きなさいとかいちいちわからなくなったことを指摘したら怒るのだ。今までの人間関係は継続する、でも実際相手が馬鹿になったのだから継続できない、そこに問題が起きるのだ。認知症とは相手をたてることが相手を気分よくさせることが治療であり介護なのである。それをできる人は家族でもできない場合があるし他の人でもまれである。だから今まで長年つきあっていた人も来なくなった。相手できないのである。一人だけうまく相手してくれた人がいた。その人はうまくちぐはぐな話をしてもそれに合わせてくれたのである。その人とは前はそんなにつきあいはなかったが相手が馬鹿になってもかわいそうだからなとか同情していたのだ。その人は今までは馬鹿のように思われていた人だった。何か言うことが良くわからない人だった。でも実際は認知症になり馬鹿になったことをわかっていてつきあってくれていたのである。
 
●認知症の人にとって作業療法は効果ある
 

認知症の人が幼稚園とかに行って掃除などをしていた。それで自分たちも社会とかかわれて何かしら役立っているという意識をもつ、子供たちとも接することができると生きがいをもてる。
認知症の人は役に立たないということを意外と気にしている。私の家では家事をほとんどしていなかった。でも認知症になってから洗濯、掃除、食器洗い、風呂の掃除などをするようになった。そしたら自分は役立っているということで何か自信がついたのか前向きになった。認知症でも役に立ちたいという意識がある。体は丈夫だったからそれがまだできた。それでこちらも助かった。庭いじりなどもしていた。認知症の人にとって作業療法がかなり効果を現す、でも家庭でやるならいいが社会でやるとなるとテレビでも補佐する人が4人必要だとか金もかかるとか簡単にはできない、つまり社会の役に立つからといって自分たちではできないのである。だから自分たちで病気を知ってもらいいい介護を国に要求することができるのかと理解できなかった。ともかく認知症は理解がむずかしいから家族でも孤立しやすいのである。だから施設に入るほか地域で介護することはまわりの理解がないのでむずかしい、実際は自分は一人で介護して何の援助もえられなかった。病院に入院したときは認知症の介護ではない、体の介護だが援助されたので病院に入れたとき楽だなとつくづく思った。ともかくはじめて外部の人が体の事でもいろいろ気づかってくれたからである。ただ別に認知症だからと気づかったわけではない、認知症だからと気づかってくれる人はいない、むしろ地域では差別、偏見になりやすいのである。


認知症は今日のNHKのテレビ見てええ、普通の人とどこが違うのか?と見る人が多いだろう。若年性の認知症は自分もわかりにくいがやはり痴呆であり明らかに知恵遅れの人のように社会のことがわからなくなる。でも依然として今までの大人としてつちかったことは記憶にあるから施設に入ったらそこが会社だと思ったりする。認知症はオ-ストラリアのようにまだ日本では認知症そのものが認知されていないのだ。何なのか社会でも理解していない、身体介護としてしか外部の介護はない、心の領域まで踏み入れ介護はめんどうだからできないのである。つまり日本では本人が決めるケアはほど遠いのが現実でありNHKの今日の放送はほんの一握りの例外的な人の報告にすぎなかったのである。

 
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認知症は社会で長年暮らして家族や社会で仕事してきた人だからその記憶が残っていて
自分は有用な有能な人間だったというプライドを認知症になっても持ち続けているのだ
そこが先天的知恵遅れの人との根本的そうである。
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