2009年03月14日

南相馬市の鹿島区に九州の国の名が地名としてある訳


 

南相馬市の鹿島区に九州の国の名が地名としてある訳
http://musubu2.sblo.jp/article/27582397.html

 
九州からなぜ相馬まで来たのか不思議だった。それは越中薬売りが関係していた。薩摩と深い関係があり真宗の信徒ともなっていた。ということ越中の相馬へ移民する真宗信徒と仲間意識がもてる。薩摩では禁止されていた。一時京都にいて情報を探っていた。京都はやはり人が集る、情報が集る場所だからそうなる。ともかく相馬藩は飢饉で人がいなくなり相当に困っていた。それでコマ-シャルソングの相馬民謡を作りかなり強引な勧誘を全国的に展開していたのだ。越中が中心となってはいたが全国から移民が集ったのはその効果があったのである。
posted by 老鶯 at 16:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 相馬郷土史関連
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