2009年03月28日

飯館村-大倉から佐須、草野へ(春の短歌十首)

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大倉を越えて佐須かな春の日や行合道に我がい出むかな

残雪の吾妻峰仰ぐ佐須をすぎ行合道に我はい出にき

鹿島より佐須は遠しも何かあれ畑に一つ乳神の碑

真野川の源遠く佐須なりき山津見神社ここに古りにき

真野川の流れに佐須と大倉は結ばれにしや春の日暮れぬ

大倉に草野は遠き峠かな越えるに難し幾度行けど

飯館の道の辺あれな一本の樹の親しきや春また行かむ

飯館に何か用あれ用なしに幾度行きて年古りにけり

飯館の峠を越えて春なれど山陰積る雪の厚しも

佐須へ行く道のり遠しこの家や誰か住めるや秋の日暮れぬ

自転車の旅路疲れぬバス停に地名を読みて秋の日暮れぬ


峠とかは車で簡単に越えたら峠のもっていた意味はわからない、私の場合は別に仕事でもない、遊びで自転
車で越えたことが思い出になる。自転車だから体に記憶として刻まれているのだ。あの峠を坂をやっと上ったなということが記憶される。地理とか地勢は体で覚えないと実感しないとわからない、地の勢いとあるからやはり地の勢いを知るには自ら体で知る必要があるのだ。ともかく用もないのに何度も行った。それが人生ですらあった。仕事で行くならそれは言えるが遊びも人生だったというのも現代の豊かな時代だからありえたのだ。仕事であれ遊びであれなんであれ人間が継続することは意味をもってくるのだ。佐須から行合道は吾妻峰の残雪が見えて霊山に出るからやはり一つの地形の区切りであり自然の境界は相馬藩の境界と一致していたのだ。それは川俣へ出る水境神社のある峠を越えるとやはり安達太良が見えるから自然の境界は相馬藩との境界と一致している。地勢が日本では境界になりやすい、確かに川もなりやすいから境川とかある。でも山が多いから峠が境になりやすいのだ。峠を越えると別な世界、異境になるのが日本なのである。飯館村でも大倉から草野への峠は長いしきついから自転車では一日かかりになってしまう。その労苦が体に残される。こんなことをしていたのも暇が与えられたからである。仕事だったら車なしでは生活できないのが現代だからだ。車では地勢のもっている意味はわからない、あまりにも容易に越えられるからだ。高速道を行っても旅にならないのと同じである。人間何をしてもいづれは終わる。有益無益にかからわず終わる。そして思い出だけが残る。ともかく老人は自分のしてきたことを語るのが勤めである。実際に何が記憶されたのかそれが人生だったのである。
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