2009年04月09日

陸軍兵長の墓(戦争の敗因)

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(陸軍)曹長・軍曹・伍長・兵長・上等兵・一等兵・二等兵

軍隊は階級社会。



桜が一個、線が一本、余分についているかどうかで、大違い。
今日は階級章についてどーでもいい話です。
http://www1.kcn.ne.jp/~tasha/kaikyusyo.htm

天皇の兵隊というみごとな大義名分に飾られて、民衆のためではなく、一つの特権社会のために働き戦わされ、という組織にはめ込まれた。日本の軍隊、兵隊の歴史は、そうして築かれ、そのために、滅ぶのである
http://1007.at.webry.info/200808/article_9.html




なぜこの墓に注目したかというと自分の家の墓のすぐ後ろにありここを通るたびにこの墓が目につくからである。これが・・・・家の墓とか、南無・・・・とかあれば個人的なものでなくなるからある特定の人を意識することはない、これは個人墓なのである。墓の起こりは個人墓だった。江戸時代の墓も庶民が墓を建てる資金の余裕がでると侍に習って墓を建てた。苗字はないが名前だけ記されている。そういう墓が倒れて埋もれるようにある。その頃一家の墓はない、自分を何か記念として残すために墓を建てたのだ。夫婦の墓も別々であったり個人墓だったから一家を偲ぶというより個人を偲ぶことになる。この墓を意識するのは個人墓でありまるで兵長が戦争のときのように今でもそこに立っているように意識される。一種の銅像のようにさえ見える。直立不動で兵長が立っている。「敬礼しろ」とか命令されるようでもある。そもそもわざわざ兵長という位をここに記したのは誇りがありこだわりがあるからだろう。

一等兵だったりしたら・・・一等兵などと書かないだろう。兵長という位がどのくらいのものかわかりにくい、でもかなり上のクラスだったからこそここに階級を記したのだ。階級の徽章とか軍隊では階級が大きな力をもち上官に絶対服従であるからこそ階級のもつ意味は大きい。それは戦争の時だからこそであり今になると何の意味ももたない、ここに兵長様が埋まっている墓なのか、偉い人だったんだなとか誰も思わない、普通の人はほとんど注目しないだろう。私が注目したのは私の姉が最近死んで墓に埋めたので余計にこの後ろの墓が気になった。というのは姉は認知症になっても最後までシンガポ-ルにいた四年間を忘れずにしゃべっていたからである。これだけは忘れなかったのである。それで同じ戦争で死んだ人がいたので注目した。今頃同じ墓場で戦争の思い出を語り合っているのかとさえ思う。戦争を記念するような墓はある。戦争で死んだ人を慰める供養するためなのだろう。その功績を墓にいろいろ記している墓がある。これは兵長と書いてあるだけだが戦争の一つの記念であり戦争を思い出させる墓である。軍隊が特権社会となり民衆から遊離して軍隊のための軍隊となっていたのか、前にも書いたけど日本の軍隊は上官に下士官がいじめられるのが通例でありそれは過酷だったし上官だけは米を食い下士官は食いなかったとかうらみつらみを語る人が多いのだ。日本の軍隊には一体感がなかった。

30人に満たない小さな部隊の兵たちがこれほどまでに困窮しても、
士官以上の3人には、白い米の飯が一日3食当たった。
さらに、島を流れる小さな川にいるウナギやエビは士官専用で、
兵士たちの口には入らない。
上下関係が厳しく、上官の命令は絶対で、部下が逆らうなど論外だ。


しかし、状況はますます悪化。
最初は穴を掘って葬っていた戦友の遺体を、
穴堀りの体力もなく幕舎横の谷に落とした。
明日はわが身と、だれもが感じていた。
「でもせめて、最期に腹いっぱい、米の飯が食いたい」。
極限のなか、兵士たちの思いが一つになった。


士官たちから米を奪ったその夜、兵士たちに久しぶりの笑顔が戻った。あと何度かは、食べられる。
http://plaza.rakuten.co.jp/375375/13003


小野田少尉と横井庄一さんの違いの不思議
(フィリピンの日本兵生き残りの騒ぎから)

http://www.musubu.jp/jijimondai28.htm#ono


戦争の敗北の原因は日本軍の内部の士気にもあった
(アメリカ軍の士気の方が高かった)
http://www.musubu.jp/jijimondai28.htm#ni


アメリカ人はいくら金持ちでも士気がないとか神風が吹くから神国だから日本は勝つと日本人は相当奢っていた。敵を知ることがないからそうした傲慢がでてきた。関東の武士が鎌倉が西の平家に勝ったのは主従関係の強さだったと言う人がいる。鎌倉の関東の武士の方が強固な主従関係を築いていた。これはロ-マに対するゲルマンとにていた。日本が敗れた原因は必ずしも物量で武器で劣るというだけでなく別な要因もあった。日本人は天皇崇拝で一致団結して士気が高いように思われていたがそうでもなかったのだ。日本の軍隊そのものが相当な欠陥だらけのまとまりのない組織だったのである。それが戦争の敗因の一因だった。とてもあれだけのおおがかりな戦争をする強固なまとまりある組織ではなかった。だから陸軍と海軍が最後まで争ったり軍隊内でも一致して戦うことができなかった。アメリカの方が一致団結していたのである。

勲しとみ国のためにい出たちぬ兵の残せし墓一基かな

我が姉の墓の後ろに「陸軍兵長」何か虚しき

この墓の今もの言わぬ春のきて同じ墓地にし何を語るべし



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上等兵と書いてある。ここは別な墓地である。上等兵くらいだとまだ墓に記される、一等兵とか二等兵の墓もあるのか・・・・この階級も今になればむなしいけれど・・・今誰も兵隊の階級に興味ないだろう。




◆戦地増俸(月額)

大佐  ‥‥‥345円 中佐  ‥‥‥270円 少佐  ‥‥‥200円
大尉  ‥‥‥145円 中尉  ‥‥‥115円 少尉  ‥‥‥105円
見習士官‥‥‥ 50円 准尉  ‥‥‥110円 曹長 ‥‥‥ 85円
軍曹  ‥‥‥ 34円 伍長 ‥‥‥ 27円 兵長 ‥‥‥ 18円
上等兵 ‥‥‥ 14円 一等兵 ‥‥‥ 12円 二等兵 ‥‥‥ 12円


伍長と兵長は差あるけど給料にすると兵長以下はそんなに差はなかった。


posted by 老鶯 at 16:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 明治維新-明治以降
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