2009年04月20日

介護で切れる親戚関係(介護では本心本根が隠せず現れる)


介護で切れる親戚関係
(介護では本心本根が隠せず現れる)


自分の家の場合、兄弟がいないのだから親戚関係はないと同じである。ここを前提にして読んでもらう必要がある。つまりそもそも親戚関係は薄いから切れても当然の関係だった。だからそのことにこだわる、恨むとかはない、ああそうなんだくらいであり別に恨んだりしない、当然の結果だと今では思っている。

@ 最初からかかわらぬことを決めて切れた親戚

これは介護になってから最初からかかわらないことを決めた親戚だった。ここも代が変わっているし姪とかであり年も八五歳とか本人では何もできないし息子や娘達は何もやる気はないから切れて当然だった。ただ特養に勤めている人がいたのでどうしたらいいか認知症の対処の方法など知りたかった。でもこれもめんどうだからしたくなっかったのだろう、何もできないしたくなかったら介護になったらこの方がわかりやすくてすっきりして良かった。別にこれで恨んだりしない、そもそも本人はできないんだからしょうがないことだった。

A無理をして協力して絶縁して来た親戚

この親戚も姪とかでありその間に交流も薄いし何かしてくれるとは期待してなかった。だから介護自体は何もしてないにしろ親切に手伝ってくれるものだ不思議に思っていた。そのなぜかがわかった。金をやっていたのだ。でもその金のことで今度は絶縁状態になった。なぜならその人はそもそも金持ちでありやたら財産が入ってくる人だった。金などいらないのに金をやったからその金はそれなりに大きいとしても金持ちだからはした金になる。もし貧乏な人だったらありがたいと思うが全然思わないのだ。金でも一万やってありがたいと思う人百万やってもそんな金も金のうちに入らないはした金と思う人もいるのだ。そういう人に金をやっても何の意味もない、だからこんなはした金で介護に使う気かとどなりこんできたのである。もともとやる気がなかったのに金をやったため切れてしまった。金がいい作用をすべてするわけではない、金持ちは金では動かないのだ。金ですべて解決するけではない、だからあんた金があるんだから金でヘルパ-雇いとなり絶縁してしまった。もし金がない人だったらこうはならなかった。打算でも金が欲しいからやりたくなくてもやることはやる。介護関係の仕事でも他の仕事でも金のため嫌でもやらざるをえないからやっている。それが全部悪いとは言えないのだ。金があるからといって金が万能ではない、かえって悪く作用して人間関係を壊ししてしまうことがあるのだ。ただこの人は相当に冷たい人だったから本心と本音が極端に現れて絶縁してしまった。そうでなければこんな絶縁の仕方をする必要がなかったからだ。あれほと怒り狂うということが理解できないからだ。あなたのためにはそもそも何一つやりたくなかったのだが成り行きで一時的に協力していたのである。

B世話になったという理由で協力した親戚

ここも親戚といっても親戚にもならない関係だった。ただ世話になったということで協力してくれた。これはAとは比べ物にならないくらい協力してくれた。その言っていることもしたことも本当だった。ただすでに80すぎて協力するにしても自分一人ではできない、代が変わっているし娘や息子はやる気がなかった。でも母親がそういうのでしかたなくしていた。だからこっちの方には金を最初からやるべきだったが金があるということや金を受け取られないとうことでやらなかった。金を払ってもこっちにしてやってもらった方が助かるからだ。でも実際は金はなかった。あとで借金しに来たからだ。それを断ることもできなかった。これはAとは逆の立場だった。金がなければ金はやったのだからもっと協力してもらうことができた。でも金があると言われれば金やるからといったってしてくれない、Aではそもそも金は必要なかったから金で使われることに激怒したのである。こっちは別に絶縁状態ではない、ただ借金だけが残っただけである。借金を返せばもとの状態にもどるだけである。ただ何か手伝ってもらうことはあとあと考えるとむずかしいというだけである。

●介護には本心、本根が隠せず現れる

介護となると金の問題でももめて兄弟間でも財産のことでもめたりして絶縁状態になる。私の家はそもそも兄弟関係ではないから介護とか深刻な状態になればそんなことする義理も何もないのだから切れても普通のことである。だからとやかく言うことではないのだ。だから結局最後は金の問題になっていたのだ。介護も金の問題としての側面も大きい、介護士の不満も給料が低すぎることでありそれが解消すれば介護に従事する人はふえてくる。労苦の割りには給料が少なすぎるから不満が大きくなるからやめる人も多いのである。
介護になるとなぜこんなに兄弟でももめて絶縁状態になるのか?介護が大変だからそんなものにかかわりたくない、財産だけはもらいたいとかその人の本心がでてくるからだろう。介護になるとその人の本心がでてくる。その本心にまともに接して仰天した。こういうことは介護を職業として接している人にもある。金持ちの施設には横柄な人が多いという。

「オ-イ、高額な金を払っているんだからもっと親切に丁寧に尽くせよ、その態度は気にくわんな、もっとオレを敬い尽くせよ・・・・」
こんなことを金のために奴隷のように使われるとしたら介護士も嫌になるだろう。実際嫌になっいる人が多い。ここに介護は普通の職業とは違う問題としてあることに気づく、だから今回のような本心、本音がでてくると驚愕することにもなる。
「あんたなんかもう世話しねえよ、金のためにへいこらしていたけどオメエなんかもう顔も見たくねえ、オレは金が入ったからうすぎたねえ、オメエみたえな金持ちとはお別れだよ、顔も見たくなかったんだよ・・・・オマエなんかぶん殴りたかったんだよ・・・」

こんなふうに本心、本音がでてくる。介護では親子のなかでもこういうことがありうるのだ。介護でなくても絶縁したい人が掲示板で話している。そういう人は親の介護などしようにもできないのである。介護は辛いから本心、本根がでてくるからできない、最初は世間体とかとりつくろってもできなくなる。長いとさらにできなくなる。それだけ介護は負担が大きいからそうなっているのだ。これはだから介護する人を全面的には責められないのである。そんなにしてまで介護させられること自体、今まで人間としてありえなかったことである。高齢化社会と豊さから介護社会が生まれたこれは新しい問題なのである。 親孝行しろとかの次元とは違う負担の大きさが介護にあるからだ。余りにも重くなれば自分だってのんきにしていられない、耐えられなくなるからだ。


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