2009年05月04日

春の短歌十首(津島から葛尾、三春、飯館へ・・)

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春光やかなたは三春道分る


津島より飯館遠きこの道を幾度か我が行きにしも淋しかりけり

浪江より津島は遠き春の日や三春へ通ず道を望みぬ

春日さし三春の方に心向く浪江の海より津島は遠しも

浪江より津島の遠き墓所のあり春の日静か誰か眠らむ

下冷田越えて津島や春の日に二本松へバスにのるかな

津島より二本松へ遠きかな乗る人まれに蛙鳴くかな

津島より葛尾に入る道遠し廃屋一軒残るもあわれ

津島には何かありなむ弁慶石一つ残りて春の日暮れぬ

三春より津島に来る人見れば老いたる人や桜咲きにき

津島にも新しき店開かむや春の鳥鳴き人も来たらむ


●三春の名前の由来




一般的に「梅・桃・桜の花が一度に咲き、三つの春が同時に来るから三春と呼ばれるようになった」と言われています。「三春」ではなく「御春」と表記されています。このため、「ミハル」という読みが先にあり、それに「三つの春」という文字を充てたと考えられます。
 こうしたことから、三春は小高い山がいくつも連なり、そこからは郡山盆地を一望にすることができるため、見張りをする「見張る」から「三春」に変わったのではないかとも考えられます。


三春は春とは関係なかったのか、御春とかいう地名も当て字だったのか、地名は実際は味気ないものが多いからやはり「見張る」から来たのだろう。これなら実用的だからである。

惜春 詞
小野 湖山
1814 〜 1910

芳事茫茫欲問誰
青天碧海枉相思
笙歌一陣遊仙夢
杯酒三春送別詩
辛苦醸花花已老
生成在雨雨應知
年來自覺栄枯理
閲到今朝又却悲

三春==盃春・仲春・李春の三ヶ月
http://marute.co.jp/~hiroaki/kansi_syuu/kansi_syuu-20/sekisyunsi.htm

春にも三つありこれは時期的に三つの春があるから三春とした。三春は梅・桃・桜の花が一度に咲くからとなっている。いづれにしろ今頃の季節、春は一番いい時である。


相馬より三春に城や春惜しむ



三春は相馬にとっては境を接してかなり身近な所だった。三春藩から相馬藩へ相馬藩から三春藩へと交流があった。三春藩へは相馬藩の姫も嫁いでいるからだ。相馬藩と三春藩との交流の歴史も研究テ-マとなる。


●津島は四方に通じる道の要所



津島は最初は標葉氏に属していたから継続として浪江であった。三春にも属していたこともあり最後に相馬藩に属し山中郷の一部となった。津島は葛尾村に通じ三春へ通じ二本松へ通じ飯館村へ通じる要所である。この辺は何回も自転車で行ったから実感する。二本松へのバスに乗ったが一時間半以上かかるから二本松は相当遠い、三春は近い、距離的感覚は車だとわかりにくい、車では距離の感覚がなくなる。だから今では移動する人はいても旅している人はいない、自転車で行けば津島は遠いな、ここに墓地があるけど浪江から遠く離れてここに眠っている人は誰なんだろうとかなる。途中冷田などという地名があるのも山の奥ならではの地名になる。寒い所だからそうなる。ここで中国人の妻がいて都会に東京に出たいとナタで夫を襲ったのには驚いた。確かにずいぶん山奥に感じてしまったのだろう。ただ今はみんな車持っているのだから街にはいつでも出れる。東京に憧れるような女性ではあまりにも違っていたとなる。ここに弁慶石とかあるのはやはり三春の方から伝わってきたのでありそれから浪江の方に伝説は伝わっていった。弁慶橋とか二つ浪江に行く方にあったからだ。津島はこのうよに四方に通じている道の要所なのである。
posted by 老鶯 at 20:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 相馬郷土史関連
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