私の場合は、ずっと武家であった事や、鎌倉時代から代々言い伝えられてきたので、違う土地から、金鉱発見の密命を国主より受けた御家人の子息として、鉱山技師共に移ってきたことが解っています。鎌倉以前も容易に辿れました。
私の苗字は、住んでいる地では、一族以外ほとんどいません。
しかし、歴史を辿って、近隣を旅するうち、同じ苗字の人が、どんどん増えて、土地によっては
10%ぐらいいたりして、驚きましたよ。
歴史に興味をもつというとき教科書で習うようなもの受験勉強的なものからではない、祖父母の話やら極めて私的なことからはじまる。ここからだけでも小説家なら一遍の小説書けるだろう。
鉱山技師とかは全国を移動する。鉄生産にまつわる話は古代からあり伝説化している。
陸奥の真野郷が知られたのは鉄の生産のためであり鉄の資源を求め移動してきた人たちがいた。それは一団となって移動してきた。その中には渡来人が交じり主導的な役割を果たした。
ただこの話からは一団で集団で移動した人たちではなかったからその姓はその土地では孤立していた。土着した人たちの中で孤立していた。元からその土地に古くある姓と新しい姓の人はたいがい職業と関係している場合がある。職を求めて土地を移動すると姓も移動するからだ。今でも火力発電所とか東京から出張所とか工場ができればもともと土着でない人たちが移動してきて珍しい地元にはない姓の人が入ってくるのである。今は姓はあまりにも多様に混じり合ったから姓から歴史を考えることはむずかしい。ただ江戸時代から土着した家の姓は歴史を調べるには不可欠である。その姓を中核にして村ができてきたということがわかるからだ。
八茎寺と波立寺は閼伽井嶽と並びいわき三薬師に数えられる。八茎寺には古い墓石が多く残されていた。そこには建立者の名が刻まれているのだが、例えばこんな風に書かれている。
「加賀国住人 野村○○/親族一同/子分一同/義兄一同」
http://loveiwaki.cocolog-nifty.com/duketogo/2007/02/post_f57a.html
このように野村というのは加賀から移ってきた人の姓である。でもそのあと野村という姓がつづいていればその土地に土着したことになるがでなければ絶えたことになる。鉱山とか資源を求めて職を変わる人は移動する人は土着しないとその子孫が土地に残りにくいかもしれない、ただ相馬に移住した越中の人たちは農業するために移住したのだから土着したのである。だからその姓も一族の子孫も相馬藩の各地に残っている相馬の墓地に必ず越中などから移った人の墓がありその人たちは真宗だから法名であり南無阿弥陀仏が墓石に刻まれる。相馬では相馬氏系統の姓が一番多いのは当然だがその前にも鹿島区などでは霊山落城のおり逃れてきて桑折氏などの姓がある。これはだから相馬氏より古いのである。姓の分類も郷土史研究には必要である。
南北朝時代- 桑折
岩松-廃絶
相馬氏系統
江戸時代- 越中加賀などの移民系統
これらは相馬藩で姓が明確である。記録に残っているからである。
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