2009年08月10日

お盆の風習の相違(鹿島区では提灯を表に飾らない・・・?)

お盆の風習は地域で違っている。小高の人がしきりに死者を迎えるために灯明を提灯を表に二つ下げねばならないと言う、その明かりを目印しに死者がやってくるからだという、それもそうかと理屈的にわかる。 ところが鹿島区ではお盆でも玄関とかに提灯は飾らないという、鹿島区は簡素だからしないというのも不思議だった。小高は盛大にお盆のお祭りをするという、また部落ごとに違っているともいう、それにしても死者を迎えるために明かりが必要なことがわかる。だから家の外に提灯が必要だというのも納得する。でも鹿島区では家の中でいいというのも不思議である。どうしてそうなったのかその理由もわからない、仏具屋の人がそう言ったのである。



お盆の場合には鬼灯(ほおづき)と書く方が、その意味に相応しいようです。と言うのは、お盆には迎え火や送り火ということをする場合があります。その場合、13日の夕方には、墓地に行ってご先祖様をお迎えします。予め持参した盆提灯の灯りで先導しながら、ご自宅へと導きます。そして、ご自宅の軒先には高燈籠などを飾っておき、霊が迷わぬよう配慮しておきます。

http://www8.ocn.ne.jp/~ohmybud/jihou2.html

これが一般的である。理屈的にも納得する。鬼灯というのもその赤さからイメ-ジされる。電機がない時代になると余計自然の中でそうしたものに目が向けられた。

それにしても鹿島区ではなぜ死者を導く盆提灯を家の表に飾らないのかなぞである。鹿島では簡素にしているんですよというがどうしてそうなったのか謎である。一般的にはそうなっていない゛盆提灯を表に飾らないことは一般的でないからそこに何か理由があったのか謎である。
お盆の風習は各地でいろいろあり部落ごとにも違っているとなると相当な数の違った祭り方がある。でも実際はお盆の祭りでも忘れられてしまっているのが多くなった。こうした古来からの風習は伝承するのがむずかしくなっている。こういう風習はやはり田舎で残りやすい、都会化すると忘れられてゆく、田舎でも農家の方で残りやすい、祭りの起源は農家に農耕の仕事に由来するものが多いからである。建築関係でも小高から鹿島区に仕事に来る人は少ないのかもしれない、鹿島区であの庭はオレが作ったんだよとか聞いていないからだ。そうでなければ鹿島と関係していれば新盆などに来ていたかもしれないからだ。それにしても鹿島区でのお盆の簡素さはやはり派手にやっていたのでそれを戒めた、そういう取り決めなどをしたからかもしれない、お悔やみを一律いくらとか決めたとか冠婚葬祭の出費が大きいから制限したためにそうなったのかもしれない、本来のお盆だったらそうなるはずがないからだ。
posted by 老鶯 at 21:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 相馬郷土史関連
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