2009年08月20日

キャンプ(ジモシティ-地元から離れられない自分)


若者のキャンプして去る朝の蝉

しじみ蝶小庭に遊び庭作り


若いころか仕事もせず旅ばかりしていた。若者はやはり旅にふさわしいのか、飄々と転々とするのににあっている。ジモシティとか地元にだけ張りついている若者というのもわからない、自分は故郷にいるのが嫌々で大学に行ったというのもただ地元から故郷から離れたいという一心だったためであり大学に行くというのはその口実だったのである。ただその時クラスで大学に行ったのは一割にもみたない、あとは金の卵とかの中卒の時代だったのである。同じ年代の女性で嫁ぎ先の親の世話をした人は紙オムツがない時代に介護していた。だから余ったいらなくなった衣服のきれはしなどを利用していた。紙おむつのない時代があり藁に寝せられていたというのは大正時代である。いかに今は介護では恵まれているかわかる。そのために使われる金は膨大なのである。旅のいい点は一カ所留まらないから風のように鳥のように渡り歩く自由である。この自由を覚えると真面目な勤め人にはなれなくなる。それで豊かな時代そうした若者がバックパッカ-になり世界を放浪する時代となったのである。南相馬市鹿島区右田のキャンプ場は今年は閑散としている。松川浦の方に行く方が多いのがわかる。ここもサ-フィンの若者がやってくるほか取りえがない、夏はやっぱりキャンプして転々と移動したいのである。でも今や自分はジモシティになってしまった。というより地元から逃れられない地元という牢獄に入れられたような存在になってしまった。


実際庭作りなどしてここ半年くらい仙台にも行っていない、全くこの近辺だけしか行っていない、一番行っているのは原町区だけど身内が死んでからもいろいろあり出れないのである。おそらくこんな生活はなおつづく、半分介護状態の身内をかかえているからだ。介護になると本当に離れなくなる。自由がなくなるのだ。特にアルツハイマ-は一時間も離れられないとか嘆いていた。自分も実際はそうなっていたのだが早めに死んでくれたので解放されたのである。でも実際はまた次のひかえていて本当に遠くに出れないようになってしまった。これも余りにも長い間自由だったツケが回ってきたのかもしれない、そんなに恵まれた状態はつづきようがなかったのである。今はだから全くジモシティ-地元主義にならざるをえない、地元から思考になり視野が狭くなった。地元からの思考となると例えば自分の家の墓を何十年前かに新しくしたのだがその時百万かかったと聞いてやはり近くの業者はそれは高すぎると聞いてそうかなと思った。確かに何十万も高いかもしれない、どうしてそういうことができたのだろうか?と疑問に思ったりした。そういうことを考えること自体、地元はそんな前のことをまたぶりかえして考える。つまり田舎ではそんな前の話まで継続しているのだ。都会だったらその時だけの話になっている。どこの業者かもわからずしまいになるだろう。田舎ではそんな前のことをまたとりざたされるからごまかせないとか法外な値段をふっかけてとっりりできないのだ。そういう点実際は相当窮屈な閉ざされた世界なのである。
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