2009年08月24日

芙蓉(農家の前畑)

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大輪の芙蓉に映えし彩りどりのダリヤ黄菊や朝の前畑

農家の前庭というよりは畑になっているから前畑である。今頃は芙蓉の季節になっている。
「花芙蓉」とすれば詩的になる。芙蓉は花が大きいからつつみこむような女性の愛情を感じる。これも太ったおおらかな女性にあっている花である。繊細な細身の女性には向かない、ここの庭は一眼レンズの望遠でとった。近くでとるとやはり人の家の庭だったのでしかられた。誰か見ていないようで見ているのが田舎なのである。田舎は実際は誰かがやはり監視しているようなところがある。一見誰も見ていないと思っていても誰かが見ている。だからよそ者は目立つ、でも車社会では車は目立たない、密閉されているから誰かわからない、それが犯罪を助長したのである。自転車などだとこれも目立つから遠くに行くと警察に目をつけられたりする。ところが車は見えないから素通りだし車を止めて中に泊まっていても外からわかりにくいのだ。

大輪の芙蓉にとりどりのダリヤや黄菊が咲いている。人もこうあれば幸福だろう。姉は外向的な人でありおおらかなほがらかな女性だった。だから子供に好かれたり人から好かれるタイプだった。でも認知症になったら誰もよりつかなくなった。それもどうしようもない、普通に会話ができなくなったからだ。認知症になったら早めに死んだ方がいい、新聞に広告を出さなかったから死んだことを知らない人もいた。それでまた一人初盆に来た人がいた。その人も足が悪くなってからくることもできないでずっとあっていなかった。だから認知症になったこともわからない、前の元気なときの頃を話して去った。この方がいい、悲惨な姿を知らない、ただ元気だった頃の思い出がその人にあるだけであるからだ。だから南田洋子さんなどは全国の人に知られたから悲惨なのである。あの悲惨な姿が全国民に残ってしまう。知らないで死んでいたら南田洋子さん死亡しました・・・・あの女優がね、いい女優だった、私もファンだった・・とかで終わりなのである。つまり他の人には身内や極親しい人はやむをえないにしても大勢のそれも銀幕とかテレビを通じて知っている人は認知症になった悲惨な姿は知らない方がいいのである。
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