2009年08月25日

夏の日に仙台まで(逢隈駅の由来)

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朝の蝉しげく逢隈川渡る


夏の蝶逢隈駅や川渡る

大川や昔の渡し夏の蝶

仙台や青葉に夕風花飾る

無人駅いくつやあまた待宵草

我は今遠くに行けじ逢隈駅我が寄り帰る夏の夕暮

若者のラフな姿や夏の夕仙台に来て我も交じりぬ


現在の「あぶくま」の地名は、平安時代の文献に「あふくま」と呼ばれていました。『三代実録』貞観5年(865年)の項で「阿福麻水神(あふくまかわのかみ)」が出てきます。この神は『延喜式』(912年)の陸奥国亘理(わたり)郡に出てくる、あぶくま川河口の「安福河伯(あふくかはく)」神社と考えられています。『延喜式』の「安福(あふく)」は、本来は「安福麻(あふくま)」であったろうと『大日本地名辞典』を編集した吉田東伍は言います。また「河伯」は『和名抄』に「かわのかみ」と記されいます。したがって「安福麻河伯」神社は9世紀には「あふくまかわのかみ」と呼ばれたと考えられます。仙台藩の『封内風土記』によれば地方民がこの神を「阿武隈河大明神」と呼び、昔は「阿武隈川神社」と呼んだと記しています。

逢隈(あふくま→おおくま)となっているがここはもともとこうした由来がある古い地名である。阿武隈の地名はここからでているとしたら川を渡る場所が逢隈となった。郡山にも逢隈橋があるから川を渡るところが地名化して阿武隈山脈とか阿武隈高原とか地域が広がっていった。つまり川を渡ることが一番印象に残るから地名化した。それもあまりに広大な地域名となっているので疑問もあるがやはり川を渡ることは難儀したのでそこから川の名前となったことはわかる。
今回は電車が自分ののった電車ではなくこちらに来る電車の故障で遅れた。30分も遅れたから逢隈駅でずいぶんまたされた。あそこはトンネルがありその向こうが阿武隈川であり岩沼になるから川が境として意識される地点なのだ。ところが逢隈駅は最近できたのでありそれまでは意識化されていなかった。駅ができて逢隈が意識化されるようになったのである。仙台に近いから新住宅地ともなったからである。ここで朝に蝉の声とか鳥の声とかを聞いた。草むらと山にさえぎられている所だからである。昔なら川をわたる所であり特別な場所でありもし昔のような旅をしていたら歌枕の地となっていた。川をわたるということは旅人にとっては別な世界に踏み込む特別な場所なのである。大きな川は特にそうであり境になるのだ。


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この頃仙台に庭作りなどで春に行ったきり行っていなかった。やはり都会の刺激を受けないと停滞することも確かである。今回は時間がないので駅の回りをちょっと歩いただけだった。でも仙台は青葉の夕暮れには情緒があり花も飾られていて気持ちよかった。

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