間借りして貯えもなき虫の声
虫の声いたわる人を望むかな
戦後経済は何もないところから始まった。あったのは人だけだった。人は労働力はいくらでもあった。それが団塊の世代だった。食料もモノも道路も橋も建物も何もない、何もないから満たすものがありそのために豊になるために働いた。しかし現代はモノ余りであり設備過剰であり土地も建物も余っている。技術開発のメリットもそれほど大きいものではない、馬車から鉄道になったり鉄道から車社会になることはメリットが大きいから社会自体を変えてしまった。ラジオからテレビの時代になったのもそうである。その変化は大きすぎたのである。映画からテレビの変化も大きかった。動画のニュ-スは映画館でしか見ていないからだ。テレビが茶の間に入ってきたことは大きな変化だった。地上波からデジタルテレビになるより大きな変化だった。今は技術開発でも大きな変化はないのだ。車でもハイブリット車や電気自動車になったとしても鉄道の移動から車の移動のような変化はないのだ。パソコンにしてもすでに技術的にさほど変化がないから前のように売れないのだ。技術的には大きな変化のない時代になった。だから需要が伸びないというとき社会が成熟社会になりこれ以上設備投資したり公共事業を拡大化したりできない、結局無駄であり自然破壊までして公共事業する意味はない、それはただ国民の負担になるだけである。
では需要がないのかというとそうでもない、住宅需要がいくらでもある。広い庭で広い家に住みたいという需要がある。家一軒建つことがいかに経済の波及効果があるか田舎では建築業者が多いからそうなる。今日は電機関係の人が工事した。家一軒建つことの経済効果は大きいのだ。だからもっと家を建てさせる、広い庭で庭作りを楽しむ、広い家で楽しむことはいくらでもできる。この辺でも住宅用地として用意しても空き地になっているのが多い、でも500万以下の土地や土地込みで一千万ちょっとの建売住宅が出てきたのも不況のためである。土地の値段はまだ下がる、それが不況の原因だという人もいるがむしろ土地は限りなく安くするべきである。農地解放のようにして家を建てさせることが景気回復につながる。それと今や金を持っているのが老人であり老人は先が短いから家は必要ない、多少リホ-ムするくらいしか使わない、少子化で家を建てる人がいないということも需要が増えない、ともかくこの世の中なにかしら需要があり需要自体はなくならないのだ。なぜこれほど高齢化で介護が問題になるのか、ここが実は一番大きな需要となっている。これも豊かな社会だからである。モノは余っている、土地も余っている、道路も余っている・・・もちろん老人も余っているのだが老人が介護として需要がありそこに金を使うのも豊かな社会だからである。貧しかったらそんなことができるはずがないのだ。
結局自分の家の需要も家のリホ-ムより老人の介護をしてくれる人が欲しい、介護の需要だった。リホ-ムの建築業者もおばあちゃんに優しい言葉をかけたりしていたがそれはあくまでもリホ-ムをして金をもらいたいということであり老人そのものの介護をするということではない、建築業者はあまり介護には向いていないその介護自体に価値を見いだすことはむずかしい。介護そのものに価値あるとは思えない、でも金になれば人はそこに価値を見いだす、明らかに今自分の家の需要は介護してくれる、人手であり様々なモノや建物や道具ではない、人でありむしろお手伝いさんでもヘルパ-などでもそうした人の価値があがってきているから介護職などの低賃金なのはわからない、これからあがってくるのではないか、そういう過渡期にあるのではないか、それともやはり介護などは価値がない社会的に無駄なものとして排除されるのか、価値観は常に変動しているのが世の中である。
老人でも格差社会であり貯えがない人が統計でも多い、やはり高齢化社会に準備できる人は少なかった。あまりにも急速な高齢化だったからである。昔だったら虫の声のようにかぼそく生きていてもかまわない、要するに早く信だから長く生きないから虫の声でも良かった。その先の老後を心配する前に虫のようにはかなく死んでいたからである。たいして介護も受けず死んでいたからである。
介護ってお年寄りのお世話をする仕事で本格的な対人間の仕事だから
向き不向きも大きいだろうと容易に想像できる
製造業の派遣などで淡々と作業するのが向いている人にとっては正反対の職業だろうね
介護される方も不安だろうな
難しいねぇ、
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そうだよね
介護ってビスをとめたり部品をくっつけたりする単純作業じゃない
人間に対する深い理解とコミュニケーションスキルが必要とされる難度の高い仕事
それなのに経済的評価は低い
介護職を増やすのは簡単には出来ないと思うよ
人間はつくづく向き不向きあるんだよな、屋根を直したリホ-ム頼んだ人は庭作りから大工も一通りこなすし家に関することはなんでもできる、体もまるで建築業のために生まれてきたような人である。体の作りから違っている。人間はこうして資質からまるで違っていることがわかる
でも家に老人がいてもその人が老人に接する態度は良くないしこの人は全く介護にはあっていない、介護職にあっている人はこの人とは逆に人を気づかう優しいタイプの人だろう。ここではまるで逆の資質が要求されている、でもこれだけあらゆるものが余っていると建物でも余っているのだから何が必要となるとそうした人間に直接に接して癒しとなるような人が価値を帯びてくるということもある。高齢化社会だとその是非はともかくそうした資質は今まで余り価値を帯びていない、やはり競争心の旺盛なガツガツした人がもてはやれたからだ。高齢化社会はやはりこれまでの価値観を変えることがある。そういうことを人類の歴史では経験していないから過渡期だからいろいろ言われているのだろう。
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