秋から冬(霊山近辺-短歌十首)
筆甫へとこの道つづく知らざりき鳥けたたまし秋の朝かな
秋となる伊達と相馬の境かな興亡終えてひそかなるかも
霊山の秋こそあわれ南朝の夢は潰(つい)えぬ木の葉散るかな
霊山に寥々と鳴る風の音滅びの跡や冬に入るかも
古霊山奥に巌のものさびて落葉を踏みて陽の落ちにけり
大磐に清流響き大石や稲の刈られて虫の鳴くかな
大石に楮畑(こうぞ)の名の残る昔の暮らし思いやるかな
大石の細道上り下りして高きに棲むや吾妻峰望む
行合道あとにし坂越え佐須にきて大倉に下る秋の夕暮
霊山ゆこの道遠し真野へ行く落武者思ふ秋の夕暮
故郷の大地の上にともに住み冬に入るなり分かち合うべし
霊山へ向かう途中の玉野までの坂は結構きつい、その途中に落合があり川が落合ところでありそこで松房ダムへ向かう道がありそこから丸森の筆甫と出る道があった。ええ、こんなところから丸森へ行けるのかと思い地図を調べた。すると確かに筆甫へ出る道だった。山深いからこんなところから筆甫へは普通は行かないだろう。この筆甫から夫婦岩がありあれここから夫婦岩に上れるのかと思った。この道はまだ行っていないから次に行ってみよう。最近霊山の方は行っていなかった。前は霊山にも何回か上った。霊山の大石にも何回か行った。細道を上る高いところにある。あそこの場所もかなり高い場所になるのでどうしてあんな不便なところに人が住むようになったのか?人間は不便な山の中でも山の高いところでも住んでいる。むしろ不便な所に人はあえて土地を求めて住むようになる。チベットではなぜ家が高い所高い所に移っているのか、それはやはり不便な所に土地を求めて住んでいるからだ。外国に出稼ぎに出るわけにも行かない時代である。今はインドに出稼ぎに行っている人が多い。ともかく上に拡大するほかなかった。南相馬市鹿島区の栃窪の上萱もそうなのだ。あんな高い所に不便な所になぜ人は住んだのか、わずかの土地を求めて住んだのである。大倉でも奥の方に住んでいた人は戦後になって開拓に入った人だったのかもしれない、それだけ新しいのであり奥地に住んでいる人が昔から住んでいたとは限らないのだ。大石でもあのような高いところでわずかな田畑にしかならない、どうして生活していたのだろうかとなる。楮畑(こうぞ)とかあるから和紙の材料を提供していたのか、ここには江戸時代から生活があったのだろう。大石というときあそこには実際に大きな石が多い、霊山から流れが落ちひびく気持ちのいい場所である。 入高野とかの地名もふさわしい地名である。ここでも問題になるのは村の新旧なのである。ここがかなり古い村であった。霊山に由来するからその頃から人が住んでいたからである。根小屋遺跡などがあるのもそのためである。
昔と今考えるとその相違が大きすぎて単純なことすらわからなくなっている。世界中と貿易して世界中の物産が入ってくる時代と村の単位で自給自足していた時代は余りにも違いすぎるからだ。そういう不便な狭い地域でどうして暮らしていたのか、でもそれは車がない時代にしても50年前とかでありそんな古い時代ではないのだ。そういう交通の発達しない狭い地域で生きることが想像できなくなっている。霊山も養蚕が盛んだったのだから現金収入の道はあった。でもあんな高いところに車もない時代に行き来するのは大変である。となると自ずと村は協力しなければ生きていけない、秋から冬となり冬ごもりとなる。やはり貧しい村では協力が必然的に行われていた。そうしなければ生きていけいなのが昔だった。貧しいからこそ人は協力し合う、豊になると協力し合わない、豊になれば協力する必要がないのだ。貨幣経済がこのように発達すれば金があれば何でも買える、人さえ金で買える、金で介護でも何でもやってもらえるとなる。金がなければ互いに協力するほかないが豊かな時代は金がすべてとなりやすいのである。
人間はもともと大地の上で生きている。ところが東京を見ればわかるように大地から全く遊離したのが大都会である。そこに住んでいる人は大地とかどこから食料が供給されるのかとか意識する必要がないのだ。日本の国土すら意識しない、食料は安い中国産でいい、高い日本産はいらない、日本の地方は過疎地に都会の税金を投入するな過疎地はいらないとか日本の国土としての一体感すらないのだ。コンクリ-トの人工の島からしかイメ-ジできない、日本はもう破産するから外国に逃げるべきだとかもなる。日本国土があり日本人があるんだがそういう思考すらなくなる。金だけが頼りの金融資本主義のユダヤ人的思考になる。人間のまともな思考は大地と結びついた田舎からしか起こらない、奇怪に巨大化した大都会から起こり得ようがないのだ。
大石の写真
http://zuiunzi.net/igu/bsrisuto.g1/3.html
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