石黙し塵なき庭や冬の月
the silenced stone
no dust in my garden
winter moon
晩菊や近くにあれかし医院かな
晩菊やシルバ-に金を払うかな
秋薔薇に午後の日あたり二輪かな
また来るいつもの池や群れる鴨
ヒヨドリの猛々しく鳴き北風の街に唸るや電線も鳴る
テレビでやっていたけど会津の天守閣から満月が見えていた。今日はここでは見えていない、雲に隠れている。昨日はきれいな満月だった。十三夜の月は満月ではなかった。会津の天守閣から月をながめたどんな気分になるのだろう。
この町の問題は歯医者が五軒あっても内科医が二軒しかないことである。これでは選べないからこまる。車がないと行けないから困る。老人が住みよい場所は医者の問題が大きいのである。医者に恵まれていなければいろいろ困る。だから医者とは何であれ仲良くしろというのもわかる。そうはいっても医者は傲慢な人が多いような気がする。あんなに持ち上げられる職業は他にないからだ。歯医者のようにもっとふえればお客さんになるからもっと増えればいい。
シルバ-センタ-に金を払ってきたがここも国から二割くらい援助されているとか60代では職安に行っても仕事がないからシルバ-に登録する人が増えたとか仕事がないとかで騒いでいる。
確かに仕事がここもないのだ。仕事したくても仕事がない、金が欲しくても金にならないとかどこも困っている。 老後はそんな心配したくないが高齢化社会の問題は先が長くても安心できない、年金も少ないし本当にもらえるのかとかなると安心できないから騒いでいるのだ。景気が良くなれば解決するがもうそんなに景気が良くなるようには見えないから安心もないのである。
今日もいつもの池により隣の市から帰ってきた。老人になるとゲ-トボ-ルとかいつもでなじみの人と出会うだけである。そういう暮らしになる。それが落ち着いていいともなるがやはり新しい刺激は常に必要だともなる。今は意外とインタ-ネットでも意外な人と出会いるかもしれない、こんな人といたのかとプログでしる、全国になるとやはり異才を放つ人はいる。思想的異端は出版の世界からは出ない、文学賞なんかも全く出版社によって売り出され人しかでない、インタ-ネットからはそういうのとは関係なく作品でも発表できるから変わった人でも出れるからいいのである。
no dust というとき英語では全く塵がない感覚になる。これはやはり砂漠のような光景がイメ-ジされる。砂漠なら全く何かがあるかないかでありあるようなないようなという感覚にはならない、あいまいな表現にはならないのだ。ノ-かイエスしかないのだ。そういう厳しい感覚が砂漠の光景なのである。最初にノ-かイエスからはじまる。コンピュタ-でも二進論である。コンピュタ-の原理も自分には理解できない、ただ原理がイエスかノ-からはじまっているのだ。仏教では空となっているのはあるでもないないでもないということとは違っている。
【日々の感想(今日の俳句短歌と詩)の最新記事】
- 栃窪の塩の道から八木沢峠の麓の家 ..
- 桐の花、老鶯、黄菖蒲(梅雨になるのか-桐..
- 赤モズを発見!! (絶滅危惧鳥類ア..
- 菖蒲の俳句(HIKE about ir..
- 空き家の庭に咲く菖蒲と残された岩 ..
- 夏の日に八木沢峠を上り飯館へ
- 夏の夕暮れに相馬市に行く (張田、..
- 藤の花、菖蒲、桐の花(夏になり近辺を回る..
- 鹿島駅前の八重桜ー人間的な鉄道の駅 ..
- 春から夏へ(雲雀、鶯、タンポポ、菖蒲)
- 桜も散り季節が変わり装いを新たにする ..
- 津波から12年桜咲く常磐線沿線を行く
- 残る花(今年は桜が早く咲き早く散った)
- 故郷の丘の桜の詩ー桜散る (桜平山..
- 鹿島区桜田山から桜と海を見る (万..
- 相馬六万石の桜 (みちのくの桜の短..
- 桜咲く六号線を新地まで(俳句連作)
- リホーム終わる(花曇り、枝垂れ桜、大工の..
- 蠟梅と桜のこと(百歳の間)
- 春の日に飯館村から霊山から梁川へ阿武隈川..