悲しさや鳴かざる蝉を手にとりぬ
この道に二輪咲きにし秋の薔薇一輪散りて夕暮るるかも
この道に木の葉の散りて夕暮れぬ行く人もなく一本の松
五本松に一本松のなお残る久しく行かじ冬となりしも
人間は生きているときは話つづける、騒ぎつづける。しかし死ねばぱったりと何も言わなくなる。姉が火葬場で燃やされるときひぐらしが鳴いていた。それで蝉のことを俳句にしたことを思い出した。俳句は短いからその人がどうしてその俳句を作ったかの背景を知らないと鑑賞できない文学である。人間もはかない蝉である。一時騒いでも死んだらぱったりと何も言わない、騒がなくなる。認知症で騒ぎすぎたが死んだらもう何も言わない、まさに空蝉(うつせみ)の・・・・・になってしまう。虚ろな蝉とはここから来ていたのかもしれない・・
うつせみの世は常なしと知るものを秋風寒み偲ひつるかも 465
人間は60年も一緒にいればなかなかその人は消え去るものではない、何かわからないが残るものがある。以前として存在感がある、存在し続けている何かがある。まだ一年すぎたくらいでは消えない、丁度9月ころに死んだからヒグラシの鳴く季節だった。それから秋風となり回想する。この歌の感覚である。
一本松は極めて人間的なのである。人間のように思えるから人間に語りかけるようになる。それは昔から同じ感覚であり今も変わらないのだ。今はただ余りにも騒々しいからそうした一本松も忘れられているのだ。昔の街道に五本松という地名が残っている。こういう地名はどこにでもある。でもそこに五本松が残っていることは少ない、すでに街道は脇道となっている。六号線は国道であり昔の街道はここ何年か行っていないような気がする。あそこには一里塚もある。あそこはやはり遠回りになるのと坂がきついから行かなくなったのである。それであそこに残っている枯れそうな一本松を今思い出したのである。
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