2009年11月10日

高齢者の二つの事故の意味するもの(福島県内)


福島県須賀川市でアンテナをとりつけ作業の61歳のアルバイトの男性が屋上から転落死

福島県双葉で伐採の男性落下して重体-北双広域シルバ-人材センタ-会員-72才
福島民報社-2009-11-10

この二つの記事はやはり高齢化社会の問題を浮き彫りにしている。61才で危険な仕事に従事していた。アルバイトというと若い人かと思ったら60以上の人だった。なぜこんな危険な仕事についたのか、やはり金になる仕事ならいいと安易にはじめたのか?、事情はわからないにしてもこういう危険な仕事はそう簡単にやるべきではない、鳶職のような仕事であり自分も屋根を直したりしてもらったがその人はプロであり慣れている。つくづく体の作りから違っている。もともと体が普通の人と違って丈夫であり資質的にそういう仕事が天職なのである。梯子をかけて上ってゆくとき自分が見上げただけでくらくらした。よほど慣れていないとまた自信がないとできない仕事である。若いとき一時そういう仕事をして死に目にあった。ちょっと足場がぐらつき不安定になると落下の危険があるのだ。ビルの上だから余計そうだった。一命をとりとめたのも運が良かったというしかない、こういう仕事は本当に危険であり日頃の訓練が必要なのである。アンテナとりつける電気工事の人は梯子をのぼるのにも腰に落ちない安全のためのひっかける道具を使っていた。つまりこういう仕事は日頃から親方につき訓練して安全策をとりコツを学ぶ必要がある。職人はいい親方についてその仕事のコツを学ばねばならない、そういうことしないでいきなりアルバイトとかでやると慣れないから危険でありこういうことが起こる。ここで見えてきたのは60以上でもこうした危険な仕事をしなければならない高齢者がいる。優雅な退職者は公務員とか少ないのである。高齢者も格差社会なのである。

シルバ-センタ-というのも現代を象徴していた。高齢者は職安に行っても職がないからシルバ-センタ-に来る、シルバ-センタ-で仕事の取り合いになっているというのも現代のせちがない時代を反映している。桜の木の伐採していたというがこれも慣れた人ならそんなに危険ということはないだろう。この人は経験者だったのか?でも72才という年はいくら経験者でも危険なのである。その年まで働かねばならないのかという疑問がある。楽な仕事ならいいがやはり危険な仕事だから疑問になる。鳶職が35才でやめているとかそれだけ危険なのである。現代は60以上でも働かざるをえない人が多い、それが高齢化社会の実体である。今回の事故はやはり高齢化社会を象徴した事故だったかもしれない、シルバ-センタ-では保険をかけているから保険金がでる、アルバイトの方は出ないかもしれない、そこが民間とは違っている。
シルバ-センタ-と言っても実際は働くことを生きがいとするより切羽詰まって金が欲しくて働いている人が多数なのである。だからこそ危険な仕事もしているのだ。田舎だと家賃が3400円という市営住宅に住めるとかそういう点では金がかからないにしても金をとる職がない、米一袋運ぶといくらとなるが女一人では運べないので二人でなんとか運んだとか言うのも女性だと金になりにくい、一袋運ぶとなると男だって辛いだろう。とにかく高齢者でも恵まれた人と恵まれない人の格差が大きい。この事故は高齢化社会が甘いものではない厳しいものであることを象徴していた。こういう仕事はどうしても若い者向きである。それを老人がするいうことは危険だったのである。

土方の採用って本当に適当なんだな
これで仕事中に死んでたら、どーなったんだろ?


建設現場の事故で複数が死んで、全員が偽名だったて事があったな…

市橋容疑者のように犯罪人でも簡単に仕事につける場所が建築土木関係である。でも経験ない人が入れば危険は大きい、経験があり訓練されていて適応能力がある人はいいがなければやはり事故で死ぬ人もいるがそれもうやむやにされるのか?アルバイト死んだ人は身元がわかっていても保証はでないだろう。ここで派遣など働く場所がないなど言っているのは甘いというのもわかる。まだぎりぎりに追い詰められていないからなのか、危険なところなら働く場所はあったのである。


posted by 天華 at 12:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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